にようばう》奧《おく》より出《い》で、坐《ざ》して慇懃《いんぎん》に挨拶《あいさつ》する。南無三《なむさん》聞《きこ》えたかとぎよつとする。爰《こゝ》に於《おい》てか北八《きたはち》大膽《だいたん》に、おかみさん彼《あ》の茶棚《ちやだな》はいくら。皆《みな》寒竹《かんちく》でございます、はい、お品《しな》が宜《よろ》しうございます、五圓六十錢《ごゑんろくじつせん》に願《ねが》ひたう存《ぞん》じます。兩人《りやうにん》顏《かほ》を見合《みあは》せて思入《おもひいれ》あり。北八《きたはち》心得《こゝろえ》たる顏《かほ》はすれども、さすがにどぎまぎして言《い》はむと欲《ほつ》する處《ところ》を知《し》らず、おかみさん歸《かへり》にするよ。唯々《はい/\》。お邪魔《じやま》でしたと兄《にい》さんは旨《うま》いものなり。虎口《ここう》を免《のが》れたる顏色《かほつき》の、何《ど》うだ、北八《きたはち》恐入《おそれい》つたか。餘計《よけい》な口《くち》を利《き》くもんぢやないよ。
 思《おも》ひ懸《が》けず又《また》露地《ろぢ》の口《くち》に、抱餘《かゝへあま》る松《まつ》の大木《たいぼく》を筒切《つゝぎり》にせしよと思《おも》ふ、張子《はりこ》の恐《おそろ》しき腕《かひな》一本《いつぽん》、荷車《にぐるま》に積置《つみお》いたり。追《おつ》て、大江山《おほえやま》はこれでござい、入《い》らはい/\と言《い》ふなるべし。
 笠森稻荷《かさもりいなり》のあたりを通《とほ》る。路傍《みちばた》のとある駄菓子屋《だぐわしや》の奧《おく》より、中形《ちうがた》の浴衣《ゆかた》に繻子《しゆす》の帶《おび》だらしなく、島田《しまだ》、襟白粉《えりおしろい》、襷《たすき》がけなるが、緋褌《ひこん》を蹴返《けかへ》し、ばた/\と駈《か》けて出《い》で、一寸《ちよつと》、煮豆屋《にまめや》さん/\。手《て》には小皿《こざら》を持《も》ちたり。四五軒《しごけん》行過《ゆきす》ぎたる威勢《ゐせい》の善《よ》き煮豆屋《にまめや》、振返《ふりかへ》りて、よう!と言《い》ふ。
 そら又《また》化性《けしやう》のものだと、急足《いそぎあし》に谷中《やなか》に着《つ》く。いつも變《かは》らぬ景色《けしき》ながら、腕《うで》と島田《しまだ》におびえし擧句《あげく》の、心細《こゝろぼそ》さいはむ方《かた》なし。

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