ける。黄菊《きぎく》を活《い》けたる床《とこ》の間《ま》の見透《みとほ》さるゝ書齋《しよさい》に聲《こゑ》あり、居《ゐ》る/\と。
 やがて着流《きなが》し懷手《ふところで》にて、冷《つめた》さうな縁側《えんがは》に立顯《たちあらは》れ、莞爾《につこ》として曰《いは》く、何處《どこ》へ。あゝ北八《きたはち》の野郎《やらう》とそこいらまで。まあ、お入《はひ》り。いづれ、と言《い》つて分《わか》れ、大乘寺《だいじようじ》の坂《さか》を上《のぼ》り、駒込《こまごめ》に出《い》づ。
 料理屋《れうりや》萬金《まんきん》の前《まへ》を左《ひだり》へ折《を》れて眞直《まつすぐ》に、追分《おひわけ》を右《みぎ》に見《み》て、むかうへ千駄木《せんだぎ》に至《いた》る。
 路《みち》に門《もん》あり、門内《もんない》兩側《りやうがは》に小松《こまつ》をならべ植《う》ゑて、奧深《おくふか》く住《すま》へる家《いへ》なり。主人《あるじ》は、巣鴨《すがも》邊《へん》の學校《がくかう》の教授《けうじゆ》にて知《し》つた人《ひと》。北八《きたはち》を顧《かへり》みて、日曜《にちえう》でないから留守《るす》だけれども、氣《き》の利《き》いた小間使《こまづかひ》が居《ゐ》るぜ、一寸《ちよつと》寄《よ》つて茶《ちや》を呑《の》まうかと笑《わら》ふ。およしよ、と苦《にが》い顏《かほ》をする。即《すなは》ちよして、團子坂《だんござか》に赴《おもむ》く。坂《さか》の上《うへ》の煙草屋《たばこや》にて北八《きたはち》嗜《たし》む處《ところ》のパイレートを購《あがな》ふ。勿論《もちろん》身錢《みぜに》なり。此《こ》の舶來《はくらい》煙草《たばこ》此邊《このへん》には未《いま》だ之《こ》れあり。但《たゞ》し濕《しめ》つて味《あじはひ》可《か》ならず。
 坂《さか》の下《した》は、左右《さいう》の植木屋《うゑきや》、屋外《をくぐわい》に足場《あしば》を設《まう》け、半纏着《はんてんぎ》の若衆《わかもの》蛛手《くもで》に搦《から》んで、造菊《つくりぎく》の支度最中《したくさいちう》なりけり。行《ゆ》く/\フと古道具屋《ふるだうぐや》の前《まへ》に立《た》つ。彌次《やじ》見《み》て曰《いは》く、茶棚《ちやだな》はあんなのが可《い》いな。入《い》らつしやいまし、と四十恰好《しじふかつかう》の、人柄《ひとがら》なる女房《
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