これをこの軒の主人《あるじ》に請わば、その諾否いまだ計りがたし。しかるに巡査は肯《き》き入れざりき。
「いかん、おれがいったんいかんといったらなんといってもいかんのだ。たといきさまが、観音様の化身でも、寝ちゃならない、こら、行けというに」

       三

「伯父《おじ》さんおあぶのうございますよ」
 半蔵門の方より来たりて、いまや堀端《ほりばた》に曲がらんとするとき、一個の年紀《とし》少《わか》き美人はその同伴《つれ》なる老人の蹣跚《まんさん》たる酔歩に向かいて注意せり。渠《かれ》は編み物の手袋を嵌《は》めたる左の手にぶら提灯《ぢょうちん》を携えたり。片手は老人を導きつつ。
 伯父さんと謂われたる老人は、ぐらつく足を蹈《ふ》み占めながら、
「なに、だいじょうぶだ。あれんばかしの酒にたべ酔ってたまるものかい。ときにもう何時《なんどき》だろう」
 夜は更《ふ》けたり。天色沈々として風騒がず。見渡すお堀端の往来は、三宅《みやけ》坂にて一度尽き、さらに一帯の樹立《こだ》ちと相連なる煉瓦屋《れんがおく》にて東京のその局部を限れる、この小天地|寂《せき》として、星のみひややかに冴《さ》え渡
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