》第一義に有るけれども、何にも御馳走をしない人に、たとい※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《おくび》が葱臭《ねぎくさ》かろうが、干鱈《ひだら》の繊維が挟《はさま》っていそうであろうが、お楊枝《ようじ》を、と云うは無礼に当る。
そこで、止むことを得ず、むずむずする口を堪《こら》える下から、直ぐに、スッとまたぞうろ風を入れて、でごわりまするに就いて、かような事は、余り正面から申入れまするよりと、考えることでごわりまする……と掻《かい》つまんで謂えば、自分はいまだ一面識も無いから、門生の主税から紹介をして貰いたいと言うのである。
南無三、橋は渡った、いつの間にか、お妙は試験済の合格になった。
今は表向に縁談を申込むばかりにしたらしい。それに、自分に紹介を求めるのは、英吉に反対した廉《かど》もあり、主税は面当《つらあて》をされるように擽《くすぐっ》たく思ったばかりか、少からず敵の機敏に、不意打を食ったのである。
いや、お断り申しましょう、英吉君に難癖のある訳ではないが、河野家の理想と言うものが根も葉も挙げて気に入らない。余所《よそ》で紹介をお求めなさるなり、また酒井先生は紹介の有り無しで、客の分隔《わけへだて》をするような人ではないから――直接《じか》にお話しなすって、御縁があれば纏《まとま》る分。心に潔しとしない事に、名刺一枚御荷担は申兼ぬる、と若武者だけに逸《はや》ってかかると、その分は百も合点《がってん》で、戦場往来の古兵《ふるつわもの》。
取りあえず、スースーと歯をすすって、ニヤニヤと笑いかけて、何か令嬢お身の上に就いて、下聴《したぎき》をするのが、御賛成なかったとか申すことでごわりましたな。御説に因れば、好いた女なら娼妓《じょろう》でも(と少しおまけをして、)構わん、死なば諸共にと云う。いや、人生意気を重んず、(ト歯をすすって)で、ごわりまするが、世間もあり親もあり……
とこれから道学者の面目を発揮して、河野のためにその理想の、道義上完美にして非難すべき点の無いのを説くこと数千言。約半日にして一先ず日暮前に立帰った。ざっと半日居たけれども、飯時を避けるなぞは、さすがに馴れたものである。
二十五
客が来れば姿を隠すお蔦が内に居るほどで、道学先生と太刀打して、議論に勝てよう道理が無い。主税の意気ずくで言うことは、ただ礼之進の歯ですすられるのみであったが、厭なものは厭だ、と城を枕に討死をする態度で、少々|自棄《やけ》気味の、酒井先生へ紹介は断然、お断り。
そこを一つお考え直されて、と言《ことば》を残して帰った後で、アバ大人が媒妁《なこうど》ではなおの事。とお妙の顔が蒼《あお》くなって殺されでもするように、酒も飲まないで屈託をする、とお蔦はお蔦で、かくまってあった姫君を、鐘を合図に首討って渡せ、と懸合われたほどの驚き加減。可愛い夫が可惜《いとおし》がる大切なお主《しゅう》の娘、ならば身替りにも、と云う逆上《のぼ》せ方。すべてが浄瑠璃の三の切《きり》を手本だが、憎くはない。
さあ、貴郎、そうしていらっしゃる処ではありません、早く真砂町へおいでなすって、先生が何なら奥様《おくさん》まで、あんな許《とこ》へは御相談なさいませんように、お頼みなさらなくッちゃ不可《いけ》ません。ちょいと、羽織を着換えて、と箪笥《たんす》をがたりと引いて、アア、しばらく御無沙汰なすった、明日《あした》め[#「め」に傍点]組が参りますから、何ぞお土産をお持ちなさいまし、先生はさっぱりしたものがお好きだ、と云うし、彼奴《あいつ》が片思いになるように鮑《あわび》がちょうど可い、と他愛もない。
馬鹿を云え、縁談の前《さき》へ立って、讒口《なかぐち》なんぞ利こうものなら、己《おれ》の方が勘当だ、そんな先生でないのだから、と一言にして刎《は》ねられた、柳橋の策|不被用焉《もちいられず》。
また考えて見れば、道学者の説を待たずとも、河野家に不都合はない。英吉とても、ただちとだらしの無いばかり、それに結婚すれば自然治まる、と自分も云えば、さもあろう。人の前で、母様《かあさん》と云おうが、父様《とうさま》と云おうが、道義上あえて差支《さしつかえ》はない、かえって結構なくらいである。
そのこれを難ずるゆえんは……曰く……言い難しだから、表向きはどこへも通らぬ。
困ったな、と腕を組めば、困りましたねえ、とお蔦も鬱《ふさ》ぐ。
ここへ大いなる福音を齎《もた》らし来ったのはお源で。
手廻りの使いに遣《や》ったのに、大分後れたにもかかわらず、水口の戸を、がたひし勢《いきおい》よく、唯今《ただいま》帰りました、あの、御新造様《ごしんぞさん》、大丈夫でございます。
明後日《あさって》出来るのかい、とお蔦がきりもりで、夏の掻巻《かいまき》に、と思って古浴衣の染を抜いて形を置かせに遣ってある、紺屋へ催促の返事か、と思うと、そうでない。
この忠義ものは、二人の憂《うれい》を憂として、紺屋から帰りがけに、千栽ものの、風呂敷包を持ったまま、内の前を一度通り越して、見附へ出て、土手際の売卜者《うらない》に占《み》て貰った、と云うのであった。
対手《あいて》は学士の方ですって、それまで申して占て貰いましたら、とても縁は無い断念《あきら》めものだ、と謂《い》いましたから、私は嬉しくって、三銭の見料へ白銅一つ発奮《はず》みました。可い気味でございますと、独りで喜んでアハアハ笑う。
まあ、嬉しいじゃないか、よく、お前、お嬢さんの年なんか知っていたね、と云うと、勿怪《もっけ》な顔をして、いいえ、誰方《どなた》のお年も存じません。お蔦は腑《ふ》に落ちない容子をして、売卜者《うらないしゃ》は、年紀《とし》を聞きゃしないかい。ええ、聞きましたから私の年を謂ってやりました。
当前《あたりまえ》よ、対手が学士でお前じゃ、と堪《たま》りかねて主税が云うのを聞いて、目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、しばらくして、ええ! 口惜《くやし》いと、台所へ逃込んで、売卜屋の畜生め、どたどたどた。
二人は顔を見合せて、ようように笑《わらい》が出た。
すぐにお蔦が、新しい半襟を一掛《ひとかけ》礼に遣って、その晩は市が栄えたが。
二三日|経《た》って、ともかく、それとなく、お妙がお持たせの重箱を返しかたがた、土産ものを持って、主税が真砂町へ出向くと、あいにく、先生はお留守、令夫人《おくがた》は御墓参、お妙は学校のひけが遅かった。
二十六
仮にその日、先生なり奥方なりに逢ったところで、縁談の事に就いて、とこう謂《い》うつもりでなく、また言われる筋でもなかったが、久闊振《ひさしぶり》ではあり、誰方《どなた》も留守と云うのに気抜けがする。今度来た玄関の書生は馴染《なじみ》が薄いから、巻莨《まきたばこ》の吸殻沢山な火鉢をしきりに突着けられても、興に乗る話も出ず。しかしこの一両日に、坂田と云う道学者が先生を訪問はしませんか、と尋ねて、来ない、と聞いただけを取柄。土産ものを包んで行った風呂敷を畳みもしないで突込んで、見ッともないほど袂《たもと》を膨らませて、ぼんやりして帰りがけ、その横町の中程まで来ると、早瀬さん御機嫌宜しゅう、と頓興《とんきょう》に馴々しく声を懸けた者がある。
玄関に居た頃から馴染の車屋で、見ると障子を横にして眩《まばゆ》い日当りを遮った帳場から、ぬい、と顔を出したのは、酒井へお出入りのその車夫《わかいしゅ》。
おうと立停まって一言二言交すついでに、主税はふと心付いて、もしやこの頃、先生の事だの、お嬢さんの事を聞きに来たものはないか、と聞くと、月はじめにモオニングを着た、痘痕《あばた》のある立派な旦那が。
来たか! へい、お目出たい話なんだからちっとばかり様子を聞かせな、とおっしゃいましてね。終《しまい》にゃ、き様、お伴をするだろう、懸《かか》りつけの医師《いしゃ》はどこだ、とお尋ねなさいましたっけ。
台所から、筒袖を着た女房が、ひょっこり出て来て、おやまあ早瀬さん、と笑いかけて、いいえ、やどでもここが御奉公と存じましてね、もうもう賞《ほ》めて賞めて賞め抜いてお聞かせ申しましてございますよ。お嬢様も近々御縁が極《きま》りますそうで、おめでとう存じます、えへへ、と燥《はしゃ》いだ。
余計な事を、と不興な顔をして、不愛想に分れたが、何も車屋へ捜りを入れずともの事だ、またそれにしても、モオニング着用は何事だと、苦々しさ一方ならず。
曲角の漬物屋、ここいらへも探偵《いぬ》が入ったろうと思うと、筋向いのハイカラ造りの煙草屋がある。この亭主もベラベラお饒舌《しゃべり》をする男だが、同じく申上げたろう、と通りがかりに睨《にら》むと、腰かけ込んだ学生を対手《あいて》に、そのまた金歯の目立つ事。
内へ帰ると、お蔦はお蔦で、その晩出直して、今度は自分が売卜《うらない》の前へ立つと、この縁はきっと結ばる、と易が出たので、大きに鬱《ふさ》ぐ。
もっとも売卜者も如才はない。お源が行ったのに較べれば、容子を見ただけでも、お蔦の方が結ばるに違いないから。
一日|措《お》いて、主税が自分|嘱《たの》まれのさる学校の授業を済まして帰って来ると、門口にのそりと立って、頤《あご》を撫でながら、じろじろ門札を視《なが》めていたのが、坂田礼之進。
早やここから歯をスーと吸って、先刻《さっき》からお待ち申して……はちと変だ。
さては誰も物申《ものもう》に応うるものが無かったのであろう。女中《おんな》は外出《そとで》で? お蔦は隠れた。……
無人《ぶにん》で失礼。さあ、どうぞ、と先方《さき》は編上靴《あみあげぐつ》で手間が取れる。主税は気早に靴を脱いで、癇癪紛《かんしゃくまぎれ》に、突然二階へ懸上る。段の下の扉《ひらき》の蔭から、そりゃこそ旦那様。と、にょっと出た、お源を見ると、取次に出ないも道理、勝手働きの玉襷《たまだすき》、長刀《なぎなた》小脇に掻込《かいこ》んだりな。高箒《たかぼうき》に手拭《てぬぐい》を被《かぶ》せたのを、柄長に構えて、逆上《のぼ》せた顔色《がんしょく》。
馬鹿め、と噴出《ふきだ》して飛上る後から、ややあって、道学先生、のそりのそり。
二階の論判《ろッぱん》一時《ひととき》に余りけるほどに、雷様の時の用心の線香を芬《ふん》とさせ、居間から顕《あら》われたのはお蔦で、艾《もぐさ》はないが、禁厭《まじない》は心ゆかし、片手に煙草を一撮《ひとつまみ》。抜足で玄関へ出て、礼之進の靴の中へ。この燃草《もえぐさ》は利《きき》が可かった。※[#「火+發」、91−4]《ぱっ》と煙が、むらむらと立つ狼煙《のろし》を合図に、二階から降りる気勢《けはい》。飜然《ひらり》路地へお蔦が遁込《にげこ》むと、まだその煙は消えないので、雑水《ぞうみず》を撒《ま》きかけてこの一芸に見惚れたお源が、さしったりと、手でしゃくって、ざぶりと掛けると、おかしな皮の臭がして、そこら中水だらけ。
二十七
それ熟々《つらつら》、史を按《あん》ずるに、城なり、陣所、戦場なり、軍《いくさ》は婦《おんな》の出る方が大概|敗《ま》ける。この日、道学先生に対する語学者は勝利でなく、礼之進の靴は名誉の負傷で、揚々と引挙げた。
ゆえ如何《いかん》となれば、お厭《いや》とあれば最早紹介は求めますまい、そのかわりには、当方から酒井家へ申入れまする、この縁談に就きまして、貴方《あなた》から先生に向って、河野に対する御非難をなされぬよう。御意見は御意見、感情問題は別として、これだけはお願い申したいでごわりまするが、と婉曲に言いは言ったが、露骨に遣《や》ったら、邪魔をする勿《なかれ》であるから、御懸念無用と、男らしく判然《はっきり》答えたは可いけれども、要するに釘を刺されたのであった。
礼之進の方でも、酒井へ出入りの車夫《くるまや》まで捜《さぐり》を入れた程だから、その分は随分手が廻って、従って、先生が主税に対する信用の点も、情愛のほども、子の
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