ろうと思って、私、心配ッたらなかってよ。」
「私たちが……」
「なぜでございますえ。」
と両方へ身を開いて、お妙を真中《まんなか》にして左右から、珍らしそうに顔を見ると、俯向《うつむ》きながら打微笑み、
「だって私は、ちっともお金子《かね》が無いんですもの。お茶屋へ行って、呼ばなくっては逢えないのじゃありませんか。」
お蔦がハッと吐息《といき》をつくと、小芳はわざと笑いながら、
「怪我にもそんな事があるもんですか。それに、お蔦さんも、もう堅気です。私が、何も……あの、もっとも、私に逢おうとおっしゃって下すったのではござんせんが、」
となぜか、怨めしそうな、しかも優《やさし》い目で瞻《みまも》って、
「私は何も、そんな者じゃありませんのに。」
「厭よ、小母さん、私両方とも写真で見て知っていてよ。」
と仇気《あどけ》なく、小芳の肩へ手を掛けて、前髪を推込むばかり、額をつけて顔を隠した。
二人目と目を見合せて、
「極《きまり》が悪い、お蔦さん。」
「姉さん、私は恥かしい。」
「もう……」
「ああ、」
思わず一所に同音に云った。
「写真なんか撮るまいよ、」――と。
二十三
お妙は時に、小芳の背後《うしろ》で、内証《ないしょう》で袂を覗《のぞ》いていたが、細い紙に包んだものを出して気兼ねそうに、
「小母さん、あの、お蔦さんが煩らっていらっしゃる事は、私は知らなかったんですから、お見舞じゃないの、あのね、あの、お土産に、私、極りが悪いわ。何にも有りませんから、毛糸で何か編んで上げようと思ったのよ。
だけれども何が可いか、ちっとも分らないでしょう。粋な芸者|衆《しゅ》だから、ハイカラなものは不可《いけな》いでしょう。靴足袋も、手袋も、銀貨入も、そんなものじゃ仕方が無いから、これをね、私、極りが悪いけれども持って来ました。小母さんから上げて頂戴。」
「お喜びなさいよ、お嬢さんが、」
「まあ、」
と嬉しそうに頂くのを、小芳は見い見い、蒲団へ膝を乗懸けて、
「何を下すったい。」
「開けて見ても可いかね。」
「早く拝見おしなねえ。」
「あら! 見ちゃ可厭《いや》よ、酷《ひど》いわ、小母さんは。」
と背中を推着《おッつ》いて、たった今まで味方に頼んだのを、もう目の敵《かたき》にして、小突く。
お蔦は病気で気も弱って、
「遠慮しましょうかね、」と柔順《おとな》しく膝の上へ大事に置く。
「ほんとうに、お蔦さんは羨《うらやま》しいわねえ。」
とさも羨しそうに小芳が云うと、お妙はフト打仰向いて、目を大きくして何か考えるようだったが、もう一つの袂から緋天鵝絨《ひびろうど》の小さな蝦蟇口《がまぐち》を可愛らしく引出して、
「小母さん、これを上げましょう。怒っちゃ可厭よ。沢山《たんと》あると可いけれど、大《おおき》な銀貨(五十銭)が三個《みッつ》だけだわ。
先《せん》の紙入の時は、お紙幣《さつ》が……そうねえ……あの、四円ばかりあったのに、この間落してねえ。」
と驚いたような顔をして、
「どうしようかと思ったの。だからちっとばかしだけれど、小母さん怒らないで取っといて下さいな。」
小芳が吃驚《びっくり》したらしい顔を、お蔦は振上げた目で屹《きっ》と見て、
「ああ、先生のお嬢さん。……とも……かくも……頂戴おしよ、姉さん、」
「お礼を申上げます。」
と作法正しく、手を支《つ》いたが、柳の髪の品の佳《よ》さ。頭《つむり》も得《え》上げず、声が曇って、
「どうぞ、此金《これ》で、苦界《くがい》が抜けられますように。」
その時お蔦も、いもと仮名書の包みを開けて、元気よく発奮《はず》んだ調子で、
「おお、半襟を……姉さん、江戸紫の。」
「主税さんが好な色よ。」
と喜ばれたのを嬉しげに、はじめて膝を横にずらして、蒲団にお妙が袖をかけた。
「姉さん、」
と、お蔦は俯向《うつむ》いた小芳を起して、膝突合わせて居直ったが、頬を薄蒼う染《そむ》るまでその半襟を咽喉《のど》に当てて、頤《おとがい》深く熟《じっ》と圧《おさ》えた、浴衣に映る紫栄えて、血を吐く胸の美しさよ。
「私が死んだら、姉さん、経帷子《きょうかたびら》も何にも要らない、お嬢さんに頂いた、この半襟を掛けさしておくれよ、頼んだよ。」
と云う下から、桔梗《ききょう》を走る露に似て、玉か、はらはらと襟を走る。
「ええ、お前さん、そんな、まあ、拗《す》ねたような事をお言いでない。お嬢さんのお志、私、私なんざ、今頂いた御祝儀を資本《もとで》にして、銀行を建てるんです。そして借金を返してね、綺麗に芸者を止すんだよ。」
と串戯《じょうだん》らしく言いながら、果敢《はか》ないお蔦の姿につけ、情《なさけ》にもろく崩折《くずお》れつつ、お妙を中に面《おもて》を背けて、紛らす煙草の煙も無かった。
小芳の心中、ともかくも、お蔦の頼み少ない風情は、お妙にも見て取られて、睫毛《まつげ》を幽《かすか》に振わしつつ、
「お医者には懸っているの。」
「いいえ、私もその意見をしていた処でござんすよ。お医者様にもろくに診《み》て貰わないで、薬も嫌いで飲まないんですもの、貴女からもそう云ってやって下さいましな。」
と、はじめて煙草盆から一服吸って、小芳はお妙の声を聞くのを、楽しそうに待つ顔色《かおつき》。
お取膳
二十四
その時お妙の言《ことば》というのが、余り案外であったのから、小芳は慌《あわただ》しく銀の小さな吸口を払《はた》いて煙管《きせる》を棄てたのである。
「お医者もお薬も、私だって大嫌いだわ。」
と至って真面目《まじめ》で、
「まずいものを内服《のま》せて、そしてお菓子を食べては悪いの、林檎を食べては不可《いけな》いの、と種々《いろん》なことを云うんですもの。
そんな事よりねえ、面白いことをしてお遊びなさいよ。」
小芳が(まあ。)と云う体で呆れると、お蔦は寂しそうな笑《えみ》を見せて、
「お嬢さん、その貴嬢《あなた》、面白いことが無いんですもの、」と勢《せい》のない呼吸《いき》をする。
「主税さんに逢えば可いでしょう。」
「え、」
「貴女、逢いたいでしょう。」
二人が黙って瞻《みまも》っても、お妙は目まじろぎもしないで、
「私だって逢いたくってよ。静岡へ行ってから、全く一年になるんですもの、随分だと思うわ、手紙も寄越さないんですもの。私は、あんまりだと思ってよ。
絵のお清書をする時、硯《すずり》を洗ってくれて、そしてその晩別れたのは、ちょうど今月じゃありませんか。その時の杜若《かきつばた》なんざ、もう私、嬰児《あかんぼ》が描いたように思うんですよ。随分しばらくなんですもの、私だって逢いたいわ。」
と見る見る瞳にうるみを持ったが、活々した顔は撓《たわ》まず、声も凜々《りんりん》と冴えた。
「それですから、貴女も逢いたかろうと思ってねえ。実は私相談に来たの。もっと早くから、来よう、来ようと思ったんだけれど、極《きまり》が悪いしねえ、それに私見たようなものには逢って下さらないでしょうと思って、学校の帰りに幾度《いくたび》も九段まで来て止したの。
それでも、あの、築地から来るお友達に、この辺の事を聞いて置いて、九段から、電車に乗るのは分ったの。だけどもねえ、一度|万世橋《めがね》で降りてしまって、来られなくなった事があるのよ。
そのお友達と一所に来ると、新富座の処まで教えて上げましょうッて云うんだけれど、学校でまた何か言われると悪いから、今日も同一《おなじ》電車に乗らないように、招魂社の中にしばらく居たら、男の書生さんが傍《そば》へ来て附着《くッつ》いて歩行《ある》くんですもの。私、斬られるかと思って可恐《こわ》かったわ、ねえ、お臀《しり》の肉《み》が薬になると云うんでしょう、ですもの、危いわ。
もう一生懸命にここへ来て、まあ、可《よ》かった、と思ってよ。
あのね、あの、」
と蓐《とこ》の綴糸《とじいと》を引張って、
「貴女も主税さんも、父さんに叱られてそれでこうしているんだって、可哀相だわ。私なら黙っちゃいないわ、我儘《わがまま》を云ってやるわ。だって、自分だって、母様《かあさん》が不可《いけ》ないと云うお酒を飲んで仕様が無いんですもの。自分も悪いのよ。
貴女叱られたら、おあやまんなさいよ。そしてね、父さんはね、私や母様の云う事は、それは、憎らしくってよ、ちっとも肯《き》かないけれど、人が来て頼むとねえ、何でも(厭だ。)とは言わないで、一々引受けるの。私ちゃんと伝授を知っているから、それを知らせて上げたいの、貴女が御病気で来られないんなら、小母さん、」
と隔てなく、小芳の膝に手を置いて、
「小母さんでも可《よ》うござんす。構わないで家《うち》へいらっしゃいよ。玄関の書生さんは婦《おんな》のお客様をじろじろ見るから極《きまり》が悪かったら遠慮は無いわ、ずんずん庭の方からいらっしゃい。
私がね、直ぐに二階へ連れてって、上げるわ。そうするとねえ、母様がお酒を出すでしょう。私がお酌をして酔わせてよ。アハアハ笑って、ブンと響くような大《おおき》な声を出したら、そしたらもう可いわ。
是非、主税さんを呼んで下さい。電報で――電報と云って頂戴、可くって。不可《いけな》いとか何とか、父さんがそう云ったら、膝をつかまえて離さないの。そして、お蔦さんが寂《さみ》しがって、こんなに煩らっていらっしゃると云って御覧なさい。あんなに可恐《こわ》らしくっても、あわれな話だと直《じ》きに泣くんですもの、きっと承知するわ。
そのかわり、主税さんが帰って来たら、日曜に遊びに行《ゆ》くから、そうしたらば、あの……」
と蓐《とこ》の端につかまって、お蔦の顔を覗くようにして、
「貴女も、私を可厭《いや》がらないで、一所に遊んで頂戴よ。前《ぜん》に飯田町に行きたくっても、貴女が隠れるから、どんなに遠慮だったか知れないわ。」
もう二人とも泣いていたが、お蔦は、はッと面《おもて》を伏せた。
二十五
涙を払って、お蔦が、
「姉さん、私は浮世に未練が出た。また生命《いのち》が惜《おし》くなったよ。皆さんに心配を懸けないで、今日からお医師《いしゃ》にも懸りましょう、薬も服《の》むよ。
お嬢さん、もう早瀬さんには逢えなくっても、貴女がお達者でいらっしゃいます内は、死にたくはなくなりました。」
と身をせめて、わなわな震える。
「寒気がするのねえ、さあ、お寝なさいよ、私が掛けて上げましょう。」
掻巻《かいまき》の襟へ惜気もなく、お妙が袖も手も入れて引くのを見て、
「ああ、勿体ない。そんなになすっては不可《いけ》ません。皆《みんな》がそうじゃないって言いますけれど、私は色のついた痰《たん》を吐きますから、大切なお身体《からだ》に、もしか、感染《うつり》でもするとなりません。」
覚悟した顔の色の、颯《さっ》と桃色なが心細い。
「可《い》いわ!」
「可いわではござんせん。あれ、そして寒気なんぞしませんよ。もう私は熱くって汗が出るようなんです、それから、姉さん、」
と小芳を見て、
「何ぞ……」
と云うと、黙って頷《うなず》く。
「来たらね、こんな処でなく、あっちへ行って、お前さん、お嬢さんと。」
「今日は私に任かせておくれ。」
「いいえ、」
「不可《いけ》ないよ、私がするんだよ。」
「お嬢さん、ああですもの。見舞に来て、ちょっと、病人を苛《いじ》めるものがあって、」
「無理ばっかり云う人だよ、私に理由《わけ》があるんだから。」
「理由は私にだって有りますよ。あの、過般《いつか》もお前さんに話したろう。早瀬さんと分れて、こうなる時、煙草を買え、とおっしゃって、先生の下すった、それはね、折目のつかない十円|紙幣《さつ》が三枚。勿体ないから、死んだらお葬式《とむらい》に使って欲しくって、お仏壇の抽斗《ひきだし》へ紙に包んでしまってある、それを今日使いたいのよ。お嬢さんに差上げて、そして私も食べたいから、」
とただ言うのさえ病人だけ、遺言のように
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