ると、早瀬さん御機嫌宜しゅう、と頓興《とんきょう》に馴々しく声を懸けた者がある。
 玄関に居た頃から馴染の車屋で、見ると障子を横にして眩《まばゆ》い日当りを遮った帳場から、ぬい、と顔を出したのは、酒井へお出入りのその車夫《わかいしゅ》。
 おうと立停まって一言二言交すついでに、主税はふと心付いて、もしやこの頃、先生の事だの、お嬢さんの事を聞きに来たものはないか、と聞くと、月はじめにモオニングを着た、痘痕《あばた》のある立派な旦那が。
 来たか! へい、お目出たい話なんだからちっとばかり様子を聞かせな、とおっしゃいましてね。終《しまい》にゃ、き様、お伴をするだろう、懸《かか》りつけの医師《いしゃ》はどこだ、とお尋ねなさいましたっけ。
 台所から、筒袖を着た女房が、ひょっこり出て来て、おやまあ早瀬さん、と笑いかけて、いいえ、やどでもここが御奉公と存じましてね、もうもう賞《ほ》めて賞めて賞め抜いてお聞かせ申しましてございますよ。お嬢様も近々御縁が極《きま》りますそうで、おめでとう存じます、えへへ、と燥《はしゃ》いだ。
 余計な事を、と不興な顔をして、不愛想に分れたが、何も車屋へ捜りを入れずと
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