が通るようになっても相かわらず賑《にぎや》かな。書肆《ほんやの》文求堂をもうちっと富坂寄《とみざかより》の大道へ出した露店《ほしみせ》の、いかがわしい道具に交ぜて、ばらばら古本がある中の、表紙の除《と》れた、けばの立った、端摺《はしずれ》の甚《ひど》い、三世相を開けて、燻《くす》ぼったカンテラの燈《あかり》で見ている男は、これは、早瀬主税である。
 何の事ぞ、酒井先生の薫陶《くんとう》で、少くとも外国語をもって家を為《な》し、自腹で朝酒を呷《あお》る者が、今更いかなる必要があって、前世の鸚鵡《おうむ》たり、猩々《しょうじょう》たるを懸念する?
 もっとも学者だと云って、天気の好《い》い日に浅草をぶらついて、奥山を見ないとも限らぬ。その時いかなる必要があって、玉乗の看板を観ると云う、奇問を発するものがあれば、その者愚ならずんば狂に近い。鰻屋の前を通って、好い匂がしたと云っても、直ぐに隣の茶漬屋へ駈込みの、箸を持ちながら嗅《か》ぐ事をしない以上は、速断して、伊勢屋だとは言憎い。
 主税とても、ただ通りがかりに、露店《ほしみせ》の古本の中にあった三世相が目を遮ったから、見たばかりだ、と言えば
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