とお蔦は振向いて低声《こごえ》で嗜《たしな》め、お源が背後《うしろ》から通るように、身を開きながら、
「聞こえるじゃないか。」
 目配せをすると、お源は莞爾《にっこり》して俯向《うつむ》いたが、ほんのり紅《あか》くした顔を勝手口から外へ出して路地の中《うち》を目迎える。
「奥様《おくさん》は?」
 とその顔へ、打着《ぶつ》けるように声を懸けた。またこれがその(おう。)の調子で響いたので、お源が気を揉《も》んで、手を振って圧《おさ》えた処へ、盤台《はんだい》を肩にぬいと立った魚屋は、渾名《あだな》を(め[#「め」に傍点]組)と称《とな》える、名代の芝ッ児《こ》。
 半纏は薄汚れ、腹掛の色が褪《あ》せ、三尺が捻《ね》じくれて、股引《ももひき》は縮んだ、が、盤台は美《うつくし》い。
 いつもの向顱巻《むこうはちまき》が、四五日陽気がほかほかするので、ひしゃげ帽子を蓮の葉かぶり、ちっとも涼しそうには見えぬ。例によって飲《き》こしめした、朝から赤ら顔の、とろんとした目で、お蔦がそこに居るのを見て、
「おいでなさい、奥様《おくさん》、へへへへへ。」
「お止《よ》しってば、気障《きざ》じゃないか
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