、片手で髯《ひげ》を捻《ひね》りながら、目をぎろぎろと……ただ冴えない光で、
「だろう、君、筒井筒振分髪と云うんだろう。それならそう云いたまえ、僕の方にもまた手加減があるんだ、どうだね。」
 信玄流の敵が、かえってこの奇兵を用いたにも係らず、主税の答えは車懸りでも何でもない、極めて平凡なものであった。
「怪しからん事を云うな、串戯《じょうだん》とは違う、大切なお嬢さんだ。」
「その大切のお嬢さんをどうかしているんじゃないか、それとも心で思ってるんか。」
「怪しからん事を云うなと云うのに。」
「じゃ確かい。」
「御念には及びません。」
「そんなら何も、そう我が河野家の理想に反対して、人が折角聞こうとする、妙子の容子を秘《かく》さんでも可いじゃないか。話が纏《まと》まりゃ、その人にも幸福だよ、河野一党の女王《クウィイン》になるんだ。」
「幸か、不幸か、そりゃ知らん、が、私は厭だ。一門の繁栄を望むために、娘を餌にするの、嫁の体格検査をするの、というのは真平御免だ。惚れたからは、癩《なり》でも肺病でも構わんのでなくっちゃ、妙ちゃんの相談は決してせん。勿論お嬢は瑕《きず》のない玉だけれど、露出《むきだ》しにして河野家に御覧に入れるのは、平相国清盛に招かれて月が顔を出すようなものよ。」といささか云い得て濃い煙草を吻《ほっ》と吐《つ》いたは、正にかくのごとく、山の端《は》の朧気《おぼろげ》ならん趣であった。
「なら可い、君に聞かんでも余処《わき》で聞くよ。」
 と案外また英吉は廉立《かどだ》った様子もなく、争や勝てりの態度で、
「しかし縁起だ、こりゃ一本貰って行くよ。妙子が御持参の花だから、」
「…………」
「君がどうと云う事も無いのなら、一本二本惜むにゃ当るまい、こんなに沢山あるものを、」
「…………」
「失敬、」
 あわや抜き出そうとする。と床しい人香が、はっと襲って、
「不可《いけ》ませんよ。」と半纏の襟を扱《しご》きながら、お蔦が襖《ふすま》から、すっと出て、英吉の肩へ手を載せると、蹌踉《よろ》けるように振向く処を、入違いに床の間を背負《しょ》って、花を庇《かば》って膝をついて、
「厭ですよ、私が活けたのが台なしになります。」
 と嫣然《えんぜん》として一笑する。
「だって、だって君、突込んであるんじゃないか、池の坊も遠州もありゃしない。ちっとぐらい抜いたって、あえてお手前が崩れるというでもないよ。」
 とさすがに手を控えて、例の衣兜へ突込んだが、お蔦の目前《めさき》を、(子を捉《と》ろ、子捉ろ。)の体で、靴足袋で、どたばた、どたばた。
「はい、これは柳橋流と云うんです。柳のように房々活けてありましょう、ちゃんと流儀があるじゃありませんか。」
「嘘を吐きたまえ、まあ可いから、僕が惚込んだ花だから。」
 主税は火鉢をぐっと手許へ。お蔦はすらりと立って、
「だってもう主のある花ですもの。」
「主がある!」と目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》る。
「ええ、ありますとも、主税と云ってね。」
「それ見ろ、早瀬、」
「何だ、お前、」
「いいえ、貴下《あなた》、この花を引張《ひっぱ》るのは、私を口説くのと同一《おんなじ》訳よ。主があるんですもの。さあ、引張って御覧なさい。」
 と寄ると、英吉は一足引く。
「さあ、口説いて頂戴、」
 と寄ると、英吉は一足引く。微笑《ほほえ》みながら擦《す》り寄るたびに、たじたじと退《すさ》って、やがて次の間へ、もそりと出る。


     道学先生

       二十二

 月の十二日は本郷の薬師様の縁日で、電車が通るようになっても相かわらず賑《にぎや》かな。書肆《ほんやの》文求堂をもうちっと富坂寄《とみざかより》の大道へ出した露店《ほしみせ》の、いかがわしい道具に交ぜて、ばらばら古本がある中の、表紙の除《と》れた、けばの立った、端摺《はしずれ》の甚《ひど》い、三世相を開けて、燻《くす》ぼったカンテラの燈《あかり》で見ている男は、これは、早瀬主税である。
 何の事ぞ、酒井先生の薫陶《くんとう》で、少くとも外国語をもって家を為《な》し、自腹で朝酒を呷《あお》る者が、今更いかなる必要があって、前世の鸚鵡《おうむ》たり、猩々《しょうじょう》たるを懸念する?
 もっとも学者だと云って、天気の好《い》い日に浅草をぶらついて、奥山を見ないとも限らぬ。その時いかなる必要があって、玉乗の看板を観ると云う、奇問を発するものがあれば、その者愚ならずんば狂に近い。鰻屋の前を通って、好い匂がしたと云っても、直ぐに隣の茶漬屋へ駈込みの、箸を持ちながら嗅《か》ぐ事をしない以上は、速断して、伊勢屋だとは言憎い。
 主税とても、ただ通りがかりに、露店《ほしみせ》の古本の中にあった三世相が目を遮ったから、見たばかりだ、と言えば
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