花にも水を遣りたかったの。」
「綺麗ですな、まあ、お源、どうだ、綺麗じゃないか。」
「ほんとうにお綺麗でございますこと。」と、これは妙子に見惚《みと》れている。
「同じく頂戴が出来ますんで?」
「どうしようかしら。お茶を食《あが》るんなら可《いい》けれど、お酒を飲《のむ》んじゃ、可哀相だわ。」
「え、酒なんぞ。」
「厭な、おほほ、主税さん、飲んでるのね。」
「はは、はは、さ、まあ、二階へ。」
と遁出《にげだ》すような。後へするする衣《きぬ》の音。階子段《はしごだん》の下あたりで、主税が思出したように、
「成程、今日は日曜ですな。」
「どうせ、そうよ、(日曜)が遊びに来たのよ。」
十二
二階の六畳の書斎へ入ると、机の向うへ引附けるは失礼らしいと思ったそうで、火鉢を座中へ持って出て、床の間の前に坐り蒲団《ぶとん》。
「どうぞ、お敷きなさいまし。」
主税は更《あらたま》って、慇懃《いんぎん》に手を支《つ》いて、
「まあ、よくいらっしゃいました。」
「はい、」とばかり。長年内に居た書生の事、随分、我儘《わがまま》も言ったり、甘えたり、勉強の邪魔もしたり、悪口も言ったり、喧嘩《けんか》もしたり。帽子と花簪の中であった。が、さてこうなると、心は同一《おなじ》でも兵子帯《へこおび》と扱帯《しごき》ほど隔てが出来る。主税もその扱にすれば、お嬢さんも晴がましく、顔の色とおなじような、毛巾《ハンケチ》を便《たより》にして、姿と一緒にひらひらと動かすと、畳に陽炎《かげろう》が燃えるようなり。
「御無沙汰を致しまして済みません。奥様《おくさん》もお変りがございませんで、結構でございます。先生は相変らず……飲酒《めしあが》りますか。」
「誰《たれ》か、と同一《おんなじ》ように……やっぱり……」と莞爾《にっこり》。落着かない坐りようをしているから、火鉢の角へ、力を入れて手を掛けながら、床の掛物に目を反《そ》らす。
主税は額に手を当てて、
「いや、恐縮。ですが今日のは、こりゃ逆上《のぼ》せますんですよ。前刻《さっき》朝湯に参りました。」
「父様《とうさん》もね、やっぱり朝湯に酔うんですよ。不思議だわね。」
主税は胸を据えた体《てい》に、両膝にぴたりと手を置き、
「平に、奥様《おくさん》には御内分。貴女《あなた》また、早瀬が朝湯に酔っていたなぞと、お話をなすっては不可《いけ》ませんよ。」
「ほんとうに貴郎《あなた》の半分でも、父様が母様の言うことを肯《き》くと可いんだけれど、学校でも皆《みんな》が評判をするんですもの、人が悪いのはね、私の事を(お酌さん。)なんて冷評《ひやか》すわ。」
「結構じゃありませんか。」
「厭だわ、私は。」
「だって、貴女、先生がお嬢さんのお酌で快く御酒を召食《めしあが》れば、それに越した事はありません。後《いま》にその筋から御褒美《ごほうび》が出ます。養老の滝でも何でも、昔から孝行な人物の親は、大概酒を飲みますものです。貴女を(お酌さん。)なぞと云う奴は、親のために焼芋を調え、牡丹餅《おはぎ》を買い……お茶番の孝女だ。」
と大《おおい》に擽《くすぐ》って笑うと、妙子は怨めしそうな目で、可愛らしく見たばかり。
「私は、もう帰ります。」
「御串戯《ごじょうだん》をおっしゃっては不可ません。これからその焼芋だの、牡丹餅《おはぎ》だの。」
「ええ、私はお茶番の孝女ですから。」
「まあ、御褒美を差上げましょう。」
と主税が引寄せる茶道具の、そこらを視《なが》めて、
「お客様があったのね。お邪魔をしたのじゃありませんか。」
「いいえ、もう帰った後です。」
「厭な人ね?」
と唐突《だしぬけ》に澄まして云う。
「見たんですか。」
「見やしませんけれど、御覧なさいな。お茶台に茶碗が伏《ふさ》っているじゃありませんか、お茶台に茶碗を伏せる人は、貴下|嫌《きらい》だもの、父様も。」
「天晴《あっぱ》れ御鑑定、本阿弥《ほんあみ》でいらっしゃる。」と急須子《きびしょ》をあける。
「誰方《どなた》なの?」
「御存じのない者です。河野と云う私の友達……来ていたのはその母親ですよ。」
「河野ね? 主税さん。」と妙子はふっくりした前髪で打傾き、
「学士の方じゃなくって、」
「知っていらっしゃるか。」と茶筒にかけた手を留めた。
「その母様《おっかさん》と云うのは、四十余りの、あの、若造りで、ちょいとお化粧なんぞして、細面《ほそおもて》の、鼻筋の通った、何だか権式の高い、違って?」
「まったく。どうして貴女、」
「私の学校へ、参観に。」
新学士
十三
「昨日《きのう》は母様《かあさん》が来て御厄介でした。」
と、今夜主税の机の際《わき》に、河野|英吉《えいきち》が、まだ洋服の膝も崩さぬ前《さき》から、
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