て、打棄《うっちゃ》って、フイと立って蒲団を持出すやら、開放《あけはな》しましょう、と障子を押開《おっぴら》いたかと思うと、こっちの庭がもうちっとあると宜《よろ》しいのですが、と云うやら。散らかっておりまして、と床の間の新聞を投《ほう》り出すやら。火鉢を押出して突附けるかとすれば、何だ、熱いのに、と急いでまた摺《ずら》すやら。なぜか見苦しいほど慌《あわただ》しげで、蜘蛛《くも》の囲《す》をかけるように煩《うるさ》く夫人の居まわりを立ちつ居つ。間には口を続けて、よくいらっしゃいました、ようこそおいで、思いがけない、不思議な御方が、不思議だ、不思議だ、と絶《たえ》ず饒舌《しゃべ》ったのである。
「まあ、まあ、どうぞ、どうぞ、」
 とその中《うち》に落着いた夫人もつい、口早になって、顔を振上げながら、ちと胸を反《そ》らして、片手で煙を払うような振《ふり》をした。
 早瀬はその時、机の前の我が座を離れて、夫人の背後《うしろ》に突立《つった》っていたので、上下《うえした》に顔を見合わせた。余り騒がれたためか、内気な夫人の顔《かんばせ》は、瞼《まぶた》に色を染めたのである。
 と、早瀬は人間が変ったほど、落着いて座に返って、徐《おもむろ》に巻莨《まきたばこ》を取って、まだ吸いつけないで、ぴたりと片手を膝に支《つ》いた、肩が聳《そび》えた。
「夫人《おくさん》、貴女はこれから慈善市《じぜんし》へいらしって、貧者《びんぼうにん》のためにお働きなさるんですねえ。」
 と沈んで云う。
 顔を見詰められたので、睫毛《まつげ》を伏せて、
「はい、ですが私はただお手伝いでございます。」
「お願いがございます。」
 と匐《のめ》るがごとく、主税がはたと両手を支いた。
 余り意外な事の体に、答うる術《すべ》なく、黙って流眄《ながしめ》に見ていたが、果しなく頭《こうべ》も擡《もた》げず、突いた手に畳を掴《つか》んだ憂慮《きづかわ》しさに、棄ても置かれぬ気になって、
「貴下、まあ、更《あらた》まって何でございますの。」
 とは云ったが、思入った人の体に、気味悪くもなって、遁腰《にげごし》の膝を浮かせる。
「失礼な事を云うようですが、今日の催《もよおし》はじめ、貴女方のなさいます慈善は、博くまんべんなく情《なさけ》をお懸けになりますので、旱《ひでり》に雨を降らせると同様の手段。萎《な》えしぼんだ草樹も、その恵《めぐみ》に依って、蘇生《いきかえ》るのでありますが、しかしそれは、広大無辺な自然の力でなくっては出来ない事で、人間|業《わざ》じゃ、なかなか焼石へ如露《じょろ》で振懸けるぐらいに過ぎますまい。」

       三十二

「広く行渉《ゆきわた》るばかりを望んで、途中で群消《むらぎ》えになるような情を掛けずに、その恵の露を湛《たた》えて、ただ一つのものの根に灌《そそ》いで、名もない草の一葉だけも、蒼々《あおあお》と活かして頂きたい。
 大勢寄ってなさる仕事を、貴女方、各々《めいめい》御一人|宛《ずつ》で、専門に、完全に、一|人《にん》を救って下さるわけには参りませんか。力が余れば二人です、三人です、五人ですな。余所《よそ》の子供の世話を焼く隙《ひま》に、自分の児《こ》に風邪を感《ひ》かせないように、外国の奴隷に同情をする心で、御自分お使いになる女中を勦《いたわ》ってやって欲しいんですが、これじゃ大掴《おおづか》みのお話です、何もそれをかれこれ申上げるわけではないのです。
 ところが、差当り、今目の前に、貴女の一雫《ひとしずく》の涙を頂かないと、死んでも死に切れない、あわれな者があるんです。
 この事に就きましては、私《わたくし》は夜の目も合わないほど心を苦めまして。」
 とようよう少し落着いて、
「前《ぜん》から、貴女の御憐愍《ごれんみん》を願おうと思っていたんですけれど、島山さんのと違って、貴女には軽々《かろがろ》しくお目に懸《かか》る事も出来ませんし、そうかと云って、打棄《うっちゃ》って置けば、取返しのなりません一大事、どうしようかと存じておりました処へ、実《まこと》に何とも思いがけない、不思議な御光来《おいで》で、殊にそれが慈善会にいらっしゃる途中などは、神仏の引合わせと申しても宜しいのです。
 どうぞ、その、遍《あまね》く御施しになろうという如露の水を一雫、一滴で可《よ》うございます、私《わたくし》の方へお配分《すそわけ》なすってくださるわけには参りませんか。
 御存じの風来者でありますけれども、早瀬が一生の恩に被《き》ます。」
 と拳《こぶし》を握り緊《し》めて云うのを、半ば驚き、半ば呆れ、且つ恐れて聞いていたようだった。重かった夫人の眉が、ここに至ると微笑《ほほえみ》に開けて、深切に、しかし躾《たしな》めるような優しい調子で、
「お金子《かね》が
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