ともまた酒飲みの料簡《りょうけん》でしょうか。」
と串戯《じょうだん》のように云って、ちょっと口切《くぎ》ったが、道学者の呆れて口が利けないのに、押被《おっかぶ》せて、
「さっぱりとそうして下さい。」
五十七
「貴下《あなた》、ええ、お言葉ではごわりまするが、スー」と頬の窪むばかりに吸って、礼之進、ねつねつ、……
「さよういたしますると、御門生早瀬子が令嬢を愛すると申して、万一結婚をいたしたいと云うような場合におきましては……でごわりまする……その辺はいかがお計らいなされまする思召《おぼしめし》でごわりまするな。」
「勝手にさせます。」と先生言下に答えた。
これにまた少なからず怯《おびや》かされて、
「しまするというと、貴下は自由結婚を御賛成で。」
「いや、」
「はあ、いかような御趣意に相成りまするか。」
「私は許嫁《いいなずけ》の方ですよ。」と酒井は笑う。
「許嫁? では、早瀬子と、令嬢とは、許嫁でお在《いで》なされますので。」
「決してそんな事はありません。許嫁は、私と私の家内とです。で、二人ともそれに賛成……ですか。同意だったから、夫婦になりましたよ。妙の方はどんな料簡だか、更《さ》らに私には分りません。早瀬とくッついて、それが自由結婚なら、自由結婚、誰かと駈落をすれば、それは駈落結婚、」と澄ましたものである。
「へへへ、御串戯《ごじょうだん》で。御議論がちと矯激《きょうげき》でごわりましょう!」
「先生、人の娘を、嫁に呉れい、と云う方がかえって矯激ですな、考えて見ると。けれども、習慣だからちっとも誰も怪《あやし》まんのです。
貴下から縁談の申込みがある。娘には、惚れてる奴が居ますから、その料簡次第で御話を取極《とりき》める、と云うに、不思議はありますまい。唐突《だしぬけ》に嫁入《よめ》らせると、そのぞっこんであった男が、いや、失望だわ、懊悩《おうのう》だわ、煩悶《はんもん》だわ、辷《すべ》った、転んだ、ととかく世の中が面倒臭くって不可《いか》んのです。」
「で、ごわりまするが、この縁談が破れますると、早瀬子はそれで宜しいとして、英吉君の方が、それこそ同じように、失望、懊悩、煩悶いたしましょうで、……その辺も御勘考下さりまするように。」
「大丈夫、」
と話は済んだように莞爾《にっこり》して、
「昔から媒酌人《なこうど》附の縁談が纏まらなかった為に、死ぬの、活きるの、と云った例《ためし》はありません。騒動の起るのは、媒酌人なしの内証の奴に極《きま》ったものです。」
「はあ、」
と云って、道学者は口を開《あ》いて、茫然として酒井の顔を見ていたが、
「しかし、貴下、聞く処に拠《よ》りますると、早瀬子は、何か、芸妓《げいしゃ》風情を、内へ入れておると申すでごわりまするが。」
「さよう、芸妓を入れていて、自分で不都合だと思ったら、妙には指もさしますまい。直ちに河野へ嫁入らせる事に同意をしましょう。それとも内心、妙をどうかしたいというなら、妙と夫婦になる前に、芸妓と二人で、世帯の稽古をしているんでしょう。どちらとも彼奴《あいつ》の返事をお聞き下さい。或《あるい》は、自分、妙を欲しいではないが、他《ほか》なら知らず河野へは嫁《や》っちゃ不可《いか》ん、と云えば、私もお断《ことわり》だ。どの道、妙に惚れてる奴だから、その真実愛しているものの云うことは、娘に取っては、神仏《かみほとけ》の御託宣《おつげ》と同一《おんなじ》です。」
形勢かくのごとくんば、掏摸の事など言い出したら、なおこの上の事の破れ、と礼之進行詰って真赤《まっか》になり、
「是非がごわりませぬ。ともかく、早瀬子を説きまして、更《あらた》めて御承諾を願おうでごわりまする。が、困りましたな。ええ、先刻も飯田町の、あの早瀬子の居《お》らるる路地を、私《わたくし》通りがかりに覗《のぞ》きますると、何か、魚屋体のものが、指図をいたして、荷物を片着けおりまする最中。どこへ引越《ひっこ》される、と聞きましたら、(引越すんじゃない、夜遁《よに》げだい。)と怒鳴ります仕誼《しぎ》で、一向その行先も分りませんが。」
先生|哄然《こうぜん》として、
「はははは、事実ですよ。掏摸の手伝いをしたとかで、馬鹿野郎、東京には居られなくなって、遁げたんです。もうこちらへも暇乞《いとまごい》に来ましたが、故郷の静岡へ引込む、と云っていましたから、河野さんの本宅と同郷でしょう。御相談なさるには便宜かも知れません。……御随意に、――お引取を。」
ああ、媒酌人《なこうど》には何がなる。黄色い手巾《ハンケチ》を忘れて、礼之進の帰るのを、自分で玄関へ送出して、引返して、二階へ上った、酒井が次のその八畳の書斎を開けると、そこには、主税が、膳の前に手を支《つ》いて、畏《かしこま》って落涙
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