とで飛附いて見ると、あたかもその裏へ、目的物が出る筈《はず》の、三の面が一小間切抜いてあるので、落胆《がっかり》したが、いや、この悪戯《いたずら》、嬢的に極《きわま》ったり、と怨恨《うらみ》骨髄に徹して、いつもより帰宅《かえり》の遅いのを、玄関の障子から睨《ね》め透《すか》して待構えて、木戸を入ったのを追かけて詰問に及んだので、その時のお妙の返事というのが、ああ、私よ。と済《すま》したものだった。
それをまたひとりでここで見直しつつ、半ば過ぎると、目を外らして、多時《しばらく》思入った風であったが、ばさばさと引裂《ひっさ》いて、くるりと丸めてハタと向う見ずに投《ほう》り出すと、もう一ツの柱の許《もと》に、その蝙蝠傘《こうもり》に掛けてある、主税の中折帽《なかおれ》へ留まったので、
「憎らしい。」と顔を赤めて、刎《は》ね飛ばして、帽子《ハット》を取って、袖で、ばたばたと埃《ほこり》を払った。
書生が、すっ飛んで、格子を出て、どこへ急ぐのか、お妙の前を通りかけて、
「えへへへ。」
その時お妙は、主税の蝙蝠傘を引抱《ひっかか》えて、
「どこへ行《ゆ》くの。」
「車屋へ大急ぎでございます。」
「あら、父上《とうさん》はお出掛け。」
「いいえ、車を持たせて、アバ大人を呼びますので、ははは。」
はなむけ
五十五
媒妁人《なこうど》は宵の口、燈火《ともしび》を中に、酒井とさしむかいの坂田礼之進。
「唯今は御使で、特《こと》にお車をお遣わしで恐縮にごわります。実はな、ちょと私用で外出をいたしおりましたが、俗にかの、虫が知らせるとか申すような儀で、何か、心急ぎ、帰宅いたしますると、門口に車がごわりまして、来客《らいかく》かと存じましたれば、いや、」と、額を撫でて笑うのに前歯が露出《あらわ》。
「はははは、すなわち御持《おもた》せのお車、早速間に合いました。実は好都合と云って宜しいので、これと申すも、偏《ひとえ》に御縁のごわりまする兆《しるし》でごわりまするな、はあ、」
酒井も珍らしく威儀を正して、
「お呼立て申して失礼ですが、家内が病気で居ますんで、」と、手を伸して、巻莨《まきたばこ》をぐっ、と抜く。
「時に、いかがでごわりまするな、御令室御病気は。御勝《おすぐ》れ遊ばさん事は、先達ての折も伺いましてごわりましてな。河野でも承り及んで、英吉君の母なども大きにお案じ申しております。どういう御容体でいらっしゃりまするか、私《わたくし》もその、甚だ心配を仕《つかまつ》りまするので、はあ、」
「別に心配なんじゃありません。肺病でも癩病でもないんですから。」
と先生警抜なことを云って、俯向《うつむ》きざまに、灰を払ったが、左手《ゆんで》を袖口へ掻込《かいこ》んで胸を張って煙を吸った。礼之進は、畏《かしこま》ったズボンの膝を、張肱《はりひじ》の両手で二つ叩いて、スーと云ったばかりで、斜めに酒井の顔を見込むと、
「たかだか風邪のこじれです。」
「その風邪が万病の原《もと》じゃ、と誰でも申すことでごわりまするが、事実《まったく》でな。何分御注意なさらんとなりません。」
と妙に白けた顔が、燈火に赤く見えて、
「では、さように御病中でごわりましては、御縁女の事に就きまして、御令室とまだ御相談下さります間もごわりませんので?」
と重々しく素引《そび》きかけると、酒井は事も無げな口吻《くちぶり》。
「いや、相談はしましたよ。」
「ははあ、御相談下さりましたか。それは、」と頤《あご》を揉んで、スーと云って、
「御令室の思召《おぼしめし》はいかがでごわりましょうか。実はな、かような事は、打明けて申せば、貴下《あなた》より御令室の御意向が主でごわりまするで、その御言葉一ツが、いかがの極まりまする処で、推着《おしつ》けがましゅうごわりますが、英吉君の母も、この御返事……と申しまするより、むしろ黄道吉日をば待ちまして、唯今もって、東京《こちら》に逗留《とうりゅう》いたしておりまする次第で。はあ。御令室の御言葉一ツで、」
と、意気込んで、スーと忙《せわ》しく啜《すす》って、
「何か、私《わたくし》までも、それを承りまするに就いて、このな、胸が轟《とどろ》くでごわりまするが、」
と熟《じっ》と見据えると、酒井は半ば目を閉じながら、
「他《ほか》ならぬ先生の御口添じゃあるし、伺った通りで、河野さんの方も申分も無い御家です。実際、願ってもない良縁で、もとよりかれこれ異存のある筈《はず》はありませんが、ただ不束《ふつつか》な娘ですから、」
「いや、いや、」
と頭を掉《ふ》って、大《おおき》に発奮《はず》み、
「とんだ事でごわります、怪しかりませんな、河野英吉夫人を、不束などと御意なされますると、親御の貴下のお口でも、坂田礼之進聞棄てに
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