が無いんでございますから、先生さえ、お見免《みのが》し下さいますれば、私《わたくし》の外聞や、そんな事は。世間体なんぞ。」と半《なかば》云って唾《つ》が乾く。
「いや、不可《いか》ん、許しやしないよ。」
「そう仰有《おっしゃ》って下さいますのも、世間を思って下さいますからでございます。もう、私《わたくし》は、自分だけでは、決心をいたしまして、世間には、随分一人前の腕を持っていながら、財産を当に婿養子になりましたり、汝《てまえ》が勝手に嫁にすると申して、人の娘の体格検査を望みましたり、」
と赫《かっ》となって、この時やや血の色が眉宇《びう》に浮んだ。
「女学校の教師をして、媒妁《なこうど》をいたしましたり……それよりか、拾人《ひろいて》の無い、社会の遺失物《おとしもの》を内へ入れます方が、同じ不都合でも、罪は浅かろうと存じまして。それも決して女房になんぞ、しますわけではございません。一生日蔭ものの下女同様に、ただ内証《ないしょう》で置いてやりますだけのことでございますから。」
「血迷うな。腕があって婿養子になる、女学校で見合をする、そりゃ勝手だ、己の弟子じゃないんだから、そのかわり芸者を内へ入れる奴も弟子じゃないのだ、分らんか。」
四十四
折から食卓を持って現れた、友染のその愛々しいのは、座のあたかも吹荒んだ風の跡のような趣に対して、散り残った帰花《かえりばな》の風情に見えた。輝く電燈の光さえ、凩《こがらし》の対手《あいて》や空に月一つ、で光景が凄《すさま》じい。
一言も物いわぬ三人の口は、一度にバアと云って驚かそうと、我がために、はた爾《しか》く閉されているように思って、友染は簪《かんざし》の花とともに、堅くなって膳を据えて、浮上るように立って、小刻《こきざみ》に襖《ふすま》の際。
川千鳥がそこまで通って、チリチリ、と音《ね》が留まった。杯洗《はいせん》、鉢肴《はちさかな》などを、ちょこちょこ運んで、小ぢんまりと綺麗に並べる中《うち》も、姉さんは、ただ火鉢をちっとずらしたばかり、悄《しお》れて俯向《うつむ》いて、ならば直ぐに、頭《つむり》が打つのを圧《おさ》えたそうに、火箸に置く手の白々と、白けた容子を、立際に打傾《うちかし》いで、熟《じっ》と見て出ようとする時、
「食うものはこれだけか。」
と酒井は笑みを含んだが、この際、天窓《あたま》から塩で食うと、大口を開けられたように感じたそうで、襖の蔭で慄然《ぞっ》と萎《すく》んで壁の暗さに消えて行く。
慌てて、あとを閉めないで行ったから、小芳が心付いて立とうとすると、するすると裾を捌《さば》いて、慌《あわただ》しげに来たのは綱次。
唯今の注進に、ソレと急いで、銅壺《どうこ》の燗《かん》を引抜いて、長火鉢の前を衝《つ》と立ち状《ざま》に来た。
前垂掛けとはがらりと変って、鉄お納戸地に、白の角通《かくとお》しの縮緬《ちりめん》、かわり色の裳《もすそ》を払って、上下《うえした》対の袷《あわせ》の襲《かさね》、黒繻珍《くろしゅちん》に金茶で菖蒲《あやめ》を織出した丸帯、緋綸子《ひりんず》の長襦袢《ながじゅばん》、冷く絡んだ雪の腕《かいな》で、猶予《ため》らう色なく、持って来た銚子を向けつつ、
「お酌、」
冴えた音を入れると、鶯のほうと立つ、膳の上の陽炎《かげろう》に、電気の光が和《やわら》いで、朧々《おぼろおぼろ》と春に返る。
「まだ宵の口かい。」
「柏家だけではね。」と莞爾《にっこり》する。
「遠慮なく出懸けるが可い、しかし猥褻《わいせつ》だな。」
「あら、なぜ?」
「十一時過ぎてからの座敷じゃないか。」
「御免なさいよ、苦界だわ。ねえ、早瀬さん、さあ、めしあがれよ、ぐうと、」
「いいえ、もう、」
主税は猪口《ちょく》を視《なが》むるのみ。
「お察しなさいよ。」
と先生にまたお酌をして、
「御贔屓《ごひいき》の民子ちゃんが、大江山に捕まえられていますから、助出しに行くんだわ。渡辺の綱次なのよ。」
「道理こそ、鎖帷子《くさりかたびら》の扮装《いでたち》だ。」
「錣《しころ》のように、根が出過ぎてはしなくって。姉さん、」
と髢《たぼ》に手を触る。
「いいえ、」
と云って、言《ことば》の内に、(そんな心配をおしでない。)の意味が籠る。綱次は、(安心)の体に、胸をちょいと軽く撫でて、
「おいしいものが、直ぐにあとから、」
「綱次姉さん、また電話よ。」
と廊下から雛妓《こども》の声。
「あい、あい、あちらでも御用とおっしゃる。では、直《じ》き行って来ますから、貴下《あなた》帰っちゃ、厭ですよ、民ちゃんを連れて来て、一所にまたお汁粉をね。」
酒井は黙って頷《うなず》いた。
「早瀬さん、御緩《ごゆっく》り。」
と行く春や、主税はそれさえ心細そうに見送っ
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