》は母の実家《さと》の檀那寺《だんなでら》なる、この辺《あたり》の寺に墓詣《はかまいり》した。
俗に赤門寺と云う。……門も朱塗だし、金剛神を安置した右左の像が丹《に》であるから、いずれにも通じて呼ぶのであろう。住職も智識の聞えがあって、寺は名高い。
仁王門の柱に、大草鞋《おおわらじ》が――中には立った大人の胸ぐらいなのがある――重《かさな》って、稲束の木乃伊《みいら》のように掛《かか》っている事は、渠《かれ》が小児《こども》の時に見知ったのも、今もかわりはない。緒に結んだ状《さま》に、小菊まじりに、俗に坊さん花というのを挿して供えたのが――あやめ草あしに結ばむ――「奥の細道」の趣があって、健《すこやか》なる神の、草鞋を飾る花たばと見ゆるまで、日に輝きつつも、何となく旅情を催させて、故郷《ふるさと》なれば可懐《なつか》しさも身に沁《し》みる。
峰の松風が遠く静《しずか》に聞えた。
庫裡《くり》に音信《おとず》れて、お墓経をと頼むと、気軽に取次がれた住職が、納所《なっしょ》とも小僧ともいわず、すぐに下駄ばきで卵塔場へ出向わるる。
かあかあと、鴉《からす》が鳴く。……墓所《はかしょ
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