ご》の蕎麦二ぜんに思い較《くら》べた。いささか仰山だが、不思議の縁というのはこれで――急に奈良井へ泊まってみたくなったのである。
 日あしも木曾の山の端《は》に傾いた。宿《しゅく》には一時雨《ひとしぐれ》さっとかかった。
 雨ぐらいの用意はしている。駅前の俥は便《たよ》らないで、洋傘《かさ》で寂しく凌《しの》いで、鴨居《かもい》の暗い檐《のき》づたいに、石ころ路《みち》を辿《たど》りながら、度胸は据《す》えたぞ。――持って来い、蕎麦二|膳《ぜん》。で、昨夜の饂飩は暗討《やみう》ちだ――今宵《こよい》の蕎麦は望むところだ。――旅のあわれを味わおうと、硝子《ガラス》張りの旅館一二軒を、わざと避けて、軒に山駕籠《やまかご》と干菜《ひば》を釣《つ》るし、土間の竈《かまど》で、割木《わりぎ》の火を焚《た》く、侘《わび》しそうな旅籠屋を烏《からす》のように覗《のぞ》き込み、黒き外套《がいとう》で、御免と、入ると、頬冠《ほおかぶ》りをした親父《おやじ》がその竈の下を焚いている。框《かまち》がだだ広く、炉が大きく、煤《すす》けた天井に八間行燈《はちけん》の掛かったのは、山駕籠と対《つい》の註文《ちゅう
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