うに寂寞《ひっそり》しながら、ばちゃんと音がした。ぞッと寒い。湯気が天井から雫になって点滴《したた》るのではなしに、屋根の雪が溶けて落ちるような気勢《けはい》である。
ばちゃん、……ちゃぶりと微《かす》かに湯が動く。とまた得ならず艶《えん》な、しかし冷たい、そして、におやかな、霧に白粉《おしろい》を包んだような、人膚《ひとはだ》の気がすッと肩に絡《まつ》わって、頸《うなじ》を撫《な》でた。
脱ぐはずの衣紋《えもん》をかつしめて、
「お米さんか。」
「いいえ。」
と一呼吸《ひといき》間《ま》を置いて、湯どのの裡《なか》から聞こえたのは、もちろんわが心がわが耳に響いたのであろう。――お米でないのは言うまでもなかったのである。
洗面所の水の音がぴったりやんだ。
思わず立ち竦《すく》んで四辺《あたり》を見た。思い切って、
「入りますよ、御免。」
「いけません。」
と澄みつつ、湯気に濡《ぬ》れ濡《ぬ》れとした声が、はっきり聞こえた。
「勝手にしろ!」
我を忘れて言った時は、もう座敷へ引き返していた。
電燈は明るかった。巴の提灯はこの光に消された。が、水は三筋、さらにさらさらと
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