扉《ひらき》があって閉まっていた。その裡《なか》が湯どのらしい。
「半作事《はんさくじ》だと言うから、まだ電燈《でんき》が点かないのだろう。おお、二《ふた》つ巴《どもえ》の紋だな。大星だか由良之助《ゆらのすけ》だかで、鼻を衝《つ》く、鬱陶《うっとう》しい巴の紋も、ここへ来ると、木曾殿の寵愛《ちょうあい》を思い出させるから奥床しい。」
と帯を解きかけると、ちゃぶり――という――人が居て湯を使う気勢《けはい》がする。この時、洗面所の水の音がハタとやんだ。
境はためらった。
が、いつでもかまわぬ。……他《ひと》が済んで、湯のあいた時を知らせてもらいたいと言っておいたのである。誰も入ってはいまい。とにかくと、解きかけた帯を挟《はさ》んで、ずッと寄って、その提灯の上から、扉《と》にひったりと頬《ほお》をつけて伺うと、袖《そで》のあたりに、すうーと暗くなる、蝋燭《ろうそく》が、またぽうと明《あか》くなる。影が痣《あざ》になって、巴が一つ片頬《かたほ》に映るように陰気に沁《し》み込む、と思うと、ばちゃり……内端《うちわ》に湯が動いた。何の隙間《すきま》からか、ぷんと梅の香を、ぬくもりで溶かした
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