いっさくじつ》の旅館の朝はどうだろう。……溝《どぶ》の上澄みのような冷たい汁に、おん羮ほどに蜆《しじみ》が泳いで、生煮えの臭さといったらなかった。……
 山も、空も氷を透《とお》すごとく澄みきって、松の葉、枯木の閃《きらめ》くばかり、晃々《きらきら》と陽《ひ》がさしつつ、それで、ちらちらと白いものが飛んで、奥山に、熊が人立《じんりつ》して、針を噴《ふ》くような雪であった。
 朝飯《あさ》が済んでしばらくすると、境はしくしくと腹が疼《いた》みだした。――しばらくして、二三度はばかりへ通った。
 あの、饂飩《うどん》の祟《たた》りである。鶫を過食したためでは断じてない。二ぜん分を籠《こ》みにした生がえりのうどん粉の中毒《あた》らない法はない。お腹《なか》を圧《おさ》えて、饂飩を思うと、思う下からチクチクと筋が動いて痛み出す。――もっとも、戸外《そと》は日当りに針が飛んでいようが、少々腹が痛もうが、我慢して、汽車に乗れないという容体《ようだい》ではなかったので。……ただ、誰も知らない。この宿の居心のいいのにつけて、どこかへのつらあてにと、逗留《とうりゅう》する気になったのである。
 ところで
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