続きまして、珍しく上の峠口《とうげぐち》で猟があったのでございます。」
「さあ、それなんですよ。」
 境はあらためて猪口《ちょく》をうけつつ、
「料理番さん。きみのお手際《てぎわ》で膳《ぜん》につけておくんなすったのが、見てもうまそうに、香《かんば》しく、脂《あぶら》の垂れそうなので、ふと思い出したのは、今の芸妓《げいしゃ》の口が血の一件でね。しかし私は坊さんでも、精進でも、何でもありません。望んでも結構なんだけれど、見たまえ。――窓の外は雨と、もみじで、霧が山を織っている。峰の中には、雪を頂いて、雲を貫いて聳《そび》えたのが見えるんです。――どんな拍子かで、ひょいと立ちでもした時口が血になって首が上へ出ると……野郎でこの面《つら》だから、その芸妓のような、凄《すご》く美しく、山の神の化身《けしん》のようには見えまいがね。落ち残った柿《かき》だと思って、窓の外から烏《からす》が突つかないとも限らない、……ふと変な気がしたものだから。」
「お米さん――電燈《でんき》がなぜか、遅いでないか。」
 料理番が沈んだ声で言った。
 時雨《しぐれ》は晴れつつ、木曾の山々に暮が迫った。奈良井川《なら
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