に、のそのそと起きて、鉄砲しらべをして、炉端《ろばた》で茶漬《ちゃづけ》を掻《か》っ食らって、手製《てづくり》の猿《さる》の皮の毛頭巾《けずきん》を被《かぶ》った。筵《むしろ》の戸口へ、白髪《しらが》を振り乱して、蕎麦切色《そばきりいろ》の褌《ふんどし》……いやな奴《やつ》で、とき色の禿《は》げたのを不断まきます、尻端折《しりぱしょ》りで、六十九歳の代官婆が、跣足《はだし》で雪の中に突っ立ちました。(内へ怪《ば》けものが出た、来てくれせえ。)と顔色《がんしょく》、手ぶりで喘《あえ》いで言うので。……こんな時鉄砲は強うございますよ、ガチリ、実弾《たま》をこめました。……旧主人の後室様がお跣足でございますから、石松も素跣足。街道を突っ切って韮《にら》、辣薤《らっきょう》、葱畑《ねぶかばたけ》を、さっさっと、化けものを見届けるのじゃ、静かにということで、婆が出て来ました納戸口《なんどぐち》から入って、中土間へ忍んで、指さされるなりに、板戸の節穴から覗《のぞ》きますとな、――何と、六枚折の屏風《びょうぶ》の裡《なか》に、枕《まくら》を並べて、と申すのが、寝てはいなかったそうでございます。若夫人が緋《ひ》の長襦袢《ながじゅばん》で、掻巻《かいまき》の襟《えり》の肩から辷《すべ》った半身で、画師の膝《ひざ》に白い手をかけて俯向《うつむ》けになりました、背中を男が、撫《な》でさすっていたのだそうで。いつもは、もんぺを穿《は》いて、木綿《もめん》のちゃんちゃんこで居る嫁御が、その姿で、しかもそのありさまでございます。石松は化けもの以上に驚いたに相違ございません。(おのれ、不義もの……人畜生《にんちくしょう》。)と代官婆が土蜘蛛《つちぐも》のようにのさばり込んで、(やい、……動くな、その状《ざま》を一寸でも動いて崩《くず》すと――鉄砲《あれ》だぞよ、弾丸《あれ》だぞよ。)と言う。にじり上がりの屏風の端から、鉄砲の銃口《すぐち》をヌッと突き出して、毛の生えた蟇《ひきがえる》のような石松が、目を光らして狙《ねら》っております。
人相と言い、場合と申し、ズドンとやりかねない勢いでごさいますから、画師さんは面喰《めんく》らったに相違ございますまい。(天罰は立《た》ち処《どころ》じゃ、足四本、手四つ、顔《つら》二つのさらしものにしてやるべ。)で、代官婆は、近所の村方四軒というもの、その足でたたき起こして廻って、石松が鉄砲を向けたままの、そのありさまをさらしました。――夜のあけ方には、派出所の巡査《おまわり》、檀那寺《だんなでら》の和尚《おしょう》まで立ち会わせるという狂い方でございまして。学士先生の若夫人と色男の画師さんは、こうなると、緋鹿子《ひがのこ》の扱帯《しごき》も藁《わら》すべで、彩色《さいしき》をした海鼠《なまこ》のように、雪にしらけて、ぐったりとなったのでございます。
男はとにかく、嫁はほんとうに、うしろ手に縛《くく》りあげると、細引を持ち出すのを、巡査《おまわり》が叱《しか》りましたが、叱られるとなお吼《たけ》り立って、たちまち、裁判所、村役場、派出所も村会も一所にして、姦通《かんつう》の告訴をすると、のぼせ上がるので、どこへもやらぬ監禁同様という趣で、ひとまず檀那寺まで引き上げることになりましたが、活《い》き証拠《じょうこ》だと言い張って、嫁に衣服《きもの》を着せることを肯《き》きませんので、巡査《おまわり》さんが、雪のかかった外套《がいとう》を掛けまして、何と、しかし、ぞろぞろと村の女|小児《こども》まであとへついて、寺へ参ったのでございますが。」
境はききつつ、ただ幾度《いくたび》も歎息《たんそく》した。
「――遁《に》がしたのでございましょうな。画師さんはその夜のうちに、寺から影をかくしました。これはそうあるべきでございます。――さて、聞きますれば、――伜《せがれ》の親友、兄弟同様の客じゃから、伜同様に心得る。……半年あまりも留守を守ってさみしく一人で居ることゆえ、嫁女や、そなたも、伜と思うて、つもる話もせいよ、と申して、身じまいをさせて、衣《き》ものまで着かえさせ、寝る時は、にこにこ笑いながら、床を並べさせたのだと申すことで。……嫁御はなるほど、わけしりの弟分の膝に縋《すが》って泣きたいこともありましたろうし、芸妓《げいしゃ》でしくじるほどの画師さんでございます、背中を擦《さす》るぐらいはしかねますまい、……でございますな。
代官婆の憤り方をお察しなさりとう存じます。学士先生は電報で呼ばれました。何と宥《なだ》めても承知をしません。ぜひとも姦通の訴訟を起こせ。いや、恥も外聞もない、代官といえば帯刀じゃ。武士たるものは、不義ものを成敗《せいばい》するはかえって名誉じゃ、とこうまで間違っては事面倒で。たって、裁判沙汰にしないと
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