椽側に立ちたるが、あわれ消残る樹間《このま》の雪か、緑翠《りょくすい》暗きあたり白き鸚鵡の見え隠れに、蜩《ひぐらし》一声鳴きける時、手をもって涙を拭《ぬぐ》いつつ徐《しずか》に謙三郎を顧みたり。
「いいえね、未練が出ちゃあ悪いから、もうあの声を聞くまいと思って。……」
 叔母は涙の声を飲みぬ。
 謙三郎は羞《は》じたる色あり。これが答はなさずして、胸の間の釦鈕《ボタン》を懸けつ。
「さようなら参ります。」
 とつかつかと書斎を出《い》でぬ。叔母は引添うごとくにして、その左側に従いつつ、歩みながら口早に、
「可《い》いかい、先刻《さっき》謂ったことは違えやしまいね。」
「何ですか。お通さんに逢って行《ゆ》けとおっしゃった、あのことですか。」
 謙三郎は立留《たちどま》りぬ。
「ああ、そのこととも、お前、軍《いくさ》に行くという人に他《ほか》に願《ねがい》があるものかね。」
「それは困りましたな。あすこまでは五里あります。今朝だと腕車《くるま》で駈《か》けて行ったんですが、とても逢わせないといいますから行こうという気もありませんでした。今ッからじゃ、もう時間がございません。三十分間、兵営ま
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