ま》なりしが、憂うるごとく、危《あやぶ》むごとく、はた人に憚《はばか》ることあるもののごとく、「琵琶《びわ》。」と一声、鸚鵡を呼べり。琵琶とは蓋《けだ》し鸚鵡の名ならむ。低く口笛を鳴《なら》すとひとしく、
「ツウチャン、ツウチャン。」
と叫べる声、奥深きこの書斎を徹《とお》して、一種の音調打響くに、謙三郎は愁然《しゅうぜん》として、思わず涙を催しぬ。
琵琶は年久しく清川の家に養われつ。お通と渠が従兄なる謙三郎との間に処して、巧みにその情交を暖めたりき。他なし、お通がこの家《や》の愛娘《まなむすめ》として、室《へや》を隔てながら家を整したりし頃、いまだ近藤に嫁がざりし以前には、謙三郎の用ありて、お通に見《まみ》えんと欲することあるごとに、今しも渠がなしたるごとく、籠の中なる琵琶を呼びて、しかく口笛を鳴すとともに、琵琶が玲瓏《れいろう》たる声をもて、「ツウチャン、ツウチャン。」と伝令すべく、よく馴《な》らされてありしかば、この時のごとく声を揚げて二たび三たび呼ぶとともに、帳内深き処|粛《しゅく》として物を縫う女、物差を棄て、針を措《お》きて、ただちに謙三郎に来《きた》りつつ、笑顔を合す
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