どけなきものとなりて、泣くも笑うも嬰児《あかご》のごとく、ものぐるおしき体《てい》なるより、一日のばしにいいのばしつ。母は女《むすめ》を重隆の許《もと》に返さずして、一月|余《あまり》を過してき。
されば世に亡き謙三郎の、今も書斎に在《いま》すがごとく、且つ掃き、且つ拭《ぬぐ》い、机を並べ、花を活け、茶を煎《せん》じ、菓子を挟むも、みなこれお通が堪えやらず忍びがたなき追慕の念の、その一端をもらせるなる。母は女《むすめ》の心を察して、その挙動のほとんど狂者のごときにもかかわらず、制し、且つ禁ずることを得ざりしなり。
五
お通は琵琶ぞと思いしなる、名を呼ぶ声にさまよい出でて、思わず謙三郎の墳墓なる埋葬地の間近に来り、心着けば土饅頭《どまんじゅう》のいまだ新らしく見ゆるにぞ、激しく往時を追懐して、無念、愛惜《あいじゃく》、絶望、悲惨、そのひとつだもなおよく人を殺すに足る、いろいろの感情に胸をうたれつ。就中《なかんずく》重隆が執念《しゅうね》き復讐の企《くわだて》にて、意中の人の銃殺さるるを、目前我身に見せしめ、当時の無念禁ずるあたわず。婦人《おんな》の意地と、張《はり》
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