「ツウチャン。」
 とお通を呼べり。
 再び、
「ツウチャン。」
 とお通を呼べり。お通は黙想の夢より覚めて、声する方《かた》を屹《きっ》と仰ぎぬ。
「ツウチャン。」
 とまた繰返せり。お通はうかうかと立起《たちあが》りて、一歩を進め、二歩を行《ゆ》き、椽側に出《い》で、庭に下り、開け忘れたりし裏の非常口よりふらふらと立出でて、いずこともなく歩み去りぬ。
 かくて幾分時のその間、足のままに※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−33]※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]《さまよ》えりし、お通はふと心着きて、
「おや、どこへ来たんだろうね。」
 とその身みずからを怪《あやし》みたる、お通は見るより色を変えぬ。
 ここぞ陸軍の所轄に属する埋葬地の辺《あたり》なりける。
 銃殺されし謙三郎もまた葬られてここにあり。
 かの夜《よさ》、お通は機会を得て、一たび謙三郎と相抱き、互に顔をも見ざりしに、意中の人は捕縛されつ。
 その時既に精神的絶え果つべかりし玉の緒を、医療の手にて取留められ、活《い》くるともなく、死すにもあらで、やや二ヶ月を過ぎつる後《のち》、一日重隆のお通を強いて、とも
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