ずき、土間に両手をつきざまに俯伏《うつぶし》になりて起きも上らず。お通はあたかも狂気のごとく、謙三郎に取縋《とりすが》りて、
「謙さん、謙さん、私ゃ、私ゃ、顔が見たかった。」
 と肩に手を懸け膝に抱《いだ》ける、折から靴音、剣摩の響《ひびき》。五六名どやどやと入来《いりきた》りて、正体もなき謙三郎をお通の手より奪い取りて、有無を謂わせず引立《ひった》つるに、※[#「口+阿」、第4水準2−4−5]呀《あなや》とばかり跳起《はねお》きたるまま、茫然として立ちたるお通の、歯をくいしばり、瞳を据えて、よろよろと僵《たお》れかかれる、肩を支えて、腕を掴《つか》みて、
「汝《うぬ》、どうするか、見ろ、太い奴だ。」
 これ婚姻の当夜以来、お通がいまだ一たびも聞かざりし鬱《うつ》し怒《いか》れる良人の声なり。

       四

 出征に際して脱営せしと、人を殺せし罪とをもて、勿論謙三郎は銃殺されたり。
 謙三郎の死したる後《のち》も、清川の家における居馴れし八畳の渠《かれ》が書斎は、依然として旧態を更《あらた》めざりき。
 秋の末にもなりたれば、籐筵《とうむしろ》に代うるに秋野の錦《にしき》を浮織
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