尉官は太《いた》く苛立《いらだ》つ胸を、強いて落着けたらんごとき、沈める、力ある音調もて、
「汝《おまえ》、よく娶《き》たな。」
お通は少しも口籠《くちごも》らで、
「どうも仕方がございません。」
尉官はしばらく黙しけるが、ややその声を高うせり。
「おい、謙三郎はどうした。」
「息災で居《お》ります。」
「よく、汝《おまえ》、別れることが出来たな。」
「詮方《しかた》がないからです。」
「なぜ、詮方がない。うむ。」
お通はこれが答をせで、懐中《ふところ》に手を差入れて一通の書を取出し、良人の前に繰広げて、両手を膝に正してき。尉官は右手《めて》を差伸《さしのば》し、身近に行燈《あんどん》を引寄せつつ、眼《まなこ》を定めて読みおろしぬ。
文字《もんじ》は蓋《けだ》し左《さ》のごときものにてありし。
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お通に申残し参らせ候、御身《おんみ》と近藤重隆殿とは許婚《いいなずけ》に有之《これあり》候
然《しか》るに御身は殊の外|彼《か》の人を忌嫌い候様子、拙者の眼に相見え候えば、女《むすめ》ながらも其由《そのよし》のいい聞け難くて、臨終《いまわ》の際まで黙し候
さ候えど
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