、ハッとした、出る途端に、擦違《すれちが》うように先方《さき》のが入った。
「危え、畜生!」
 喚《わめ》くと同時に、辰さんは、制動機を掛けた。が、ぱらぱらと落ちかかる巌膚《いわはだ》の清水より、私たちは冷汗になった。乗違えた自動車は、さながら、蔽《おお》いかかったように見えて、隧道《トンネル》の中へ真暗《まっくら》に消えたのである。
 主人が妙に、寂しく笑って、
「何だか、口の尖《とん》がった、色の黒い奴が乗っていたようですぜ。」
「隧道《トンネル》の中へ押立《おった》った耳が映ったようだね。」
 と記者が言った。
「辰さん。」
 いま、出そうとする運転手を呼んで、
「巳の時さん――それ、女像の寄り神を祭ったというのは、もっと先方《さき》だっけね。」
「旦那、通越《とおりこ》しました。」
「おや、はてな、獅子浜へ出る処だと思ったが。」
「いいえ、多比の奥へ引込んだ、がけの処です。」
「ああ、竜が、爪で珠をつかんでいようという肝心の処だ。……成程。」
「引返しましょうよ。」
「車はかわります。」
 途中では、遥《はるか》に海ぞいを小さく行《ゆ》く、自動車が鼠の馳《はし》るように見えて、
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