」と主人は、目鼻をくしゃくしゃとさせて苦笑して、茶の中折帽《なかおれぼう》を被《かぶ》り直した。「はやい方が可《い》い、聞くのに――」けれども山吹と藤のほか、村路《むらみち》の午《ひる》静《しずか》に、渠等《かれら》を差覗《さしのぞ》く鳥の影もなかった。そのかわり、町の出はずれを国道へついて左へ折曲ろうとする角家の小店《こみせ》の前に、雑貨らしい箱車を置いて休んでいた、半纏着《はんてんぎ》の若い男は、軒の藤を潜《くぐ》りながら、向うから声を掛けた。「どこへ行《ゆ》くだ、辰さん。……長塚の工事は城を築《つ》くような騒ぎだぞ。」「まだ通れないのか、そうかなあ。」店の女房も立って出た。「来月半ばまで掛《かか》るんだとよう。」「いや、難有《ありがと》う。さあ引返しだ。……いやしくも温泉場において、お客を預る自動車屋ともあるものが、道路の交通、是非善悪を知らんというのは、まことにもって不心得。」……と、少々芝居がかりになる時、記者は、その店で煙草《たばこ》を買った。
 砂を挙げて南条に引返し、狩野川を横切った。古奈《こな》、長岡――長岡を出た山路には、遅桜《おそざくら》の牡丹咲《ぼたんざき》が薄
前へ 次へ
全33ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング