。いうことが殺風景に過ぎますよ。」
「殿様、かつぎたまうかな。わはは。」
と揺笑《ゆすりわら》いをすると、腰の髑髏の歯も笑う。
「冷く澄んでお上品な処に、ぞっこんというんだから、切った、切ったが気になるんだ。」
「いや、縁はすぐつながるよ。会のかえりに酔払って、今夜、立処《たちどころ》に飛込むんだ。おでん、鍋焼、驕《おご》る、といって、一升買わせて、あの白い妾。」
「肝腎《かんじん》の文金が、何、それまで居るものか。」
「僕はむしろ妾に与《くみ》する。」
三崎座の幟《のぼり》がのどかに揺れて、茶屋の軒のつくり桜が野中に返咲きの霞を視《み》せた。おもては静かだが、場は大入らしい、三人は、いろいろの幟の影を、袴で波形に乗って行く。
「また何か言われそうな気がしますがね、それはそれとしてだね、娘が借りるらしかった――あの小説を見ましたかね。」
「見た、なお且つ早くから知っている。――中味は読まんが、口絵は永洗だ、艶《えん》なものだよ。」
「そうだ、いや、それだ。」
竹如意が歩行《ある》きざまの膝を打って、
「あの文金だがね、何だか見たようでいて、さっきから思出せなかったが、髑髏が言うので思出した。春頃出たんだ、『閨秀《けいしゅう》小説』というのがある、知ってるかい。」
「見ないが、聞いたよ。」
「樋口一葉、若松|賤子《しずこ》――小金井きみ子は、宝玉入の面紗《べール》でね、洋装で素敵な写真よ、その写真が並んだ中に、たしか、あの顔、あの姿が半身で出ていたんだ。」
「私もそうらしいと思うですがね、ほほほ。」
「おかしいじゃないか、それにしちゃ、小説家が、小説を、小説の貸本屋で。」
「ほほほ、私たちだって、画師《えかき》の永洗の絵を、絵で見るじゃありませんか。」
「あそうか、清麗|楚々《そそ》とした、あの娘が、引抜くと鬼女になる。」
「戻橋だな、扇折の早百合《さゆり》とくるか、凄《すご》いぞ、さては曲者《くせもの》だ。」
と、気競《きお》って振返ると、髑髏が西日に燃えた、柘榴《ざくろ》の皮のようである。連れて見返った、竹如意が茶色に光って、横笛が半ば開いた口の歯が、また黒い。
三人の影が大きく向うの空地へ映ったが、位置を軽く転ずれば、たちまち、文金に蔽《おお》いかかりそうである。烏がカアと鳴いた。
こうなると、皆化ける。安|旅宿《はたご》の辻の角から、黒鴨仕立の車夫がちょろりと鯰のような天窓《あたま》を出すと、流るるごとく俥が寄った。お嬢さんの白い手が玉のようにのびて、軒はずれに衝《つ》と招いたのである。と、緋羽《ひばね》の蹴込敷へ褄《つま》はずれ美しく、ゆうぜんの模様にない、雪なす山茶花《さざんか》がちらりと上へかくれた。
十四
しかり、文金《たかしまだ》のお嬢さんは、当時中洲辺に住居《すまい》した、月村京子、雅名を一雪《いっせつ》といって、実は小石川台町なる、上杉先生の門下の才媛《さいえん》なのである。
ちょっとした緊張にも小さき神は宿る。ここに三人の凝視の中に、立って俥を呼んだ手の、玉を伸べたのは、宿れる文筆の気の、おのずから、美しい影を顕《あら》わしたものであろう。
あたかも、髑髏と、竹如意と、横笛とが、あるいは燃え、あるいは光り、あるいは照らして、各々自家識見の象徴を示せるごとくに、
そういえば――影は尖《とが》って一番長い、豆府屋の唐人笠も、この時その本領を発揮した。
余り随《つ》いて歩行《ある》いたのが疾《やま》しかったか、道中《みちなか》へ荷を下ろして、首をそらし、口を張って、
――「とうふイ、生揚、雁もどき。」――
唐突《だしぬけ》に、三人のすぐ傍《そば》で……馬鹿な奴である。
またこの三人を誰だ、と思う?……しかしこれは作者の言《ことば》よりも、世上の大《おおい》なる響《ひびき》に聞くのが可《よ》かろう。――次いで、四日と経《た》たないうちに、小川写真館の貸本屋と向合《むかいあ》った店頭《みせさき》に、三人の影像が掲焉《けつえん》として、金縁の額になって顕われたのであるから。
――青雲社、三大画伯、御写真――
よって釈然とした。紋の丸は、色も青麦である。小鳥は、雲雀《ひばり》である。
幅広と胸に掛けた青白の糸は、すなわち、青天と白雲を心に帯《たい》した、意気|衝天《しょうてん》の表現なのである。当時、美術、絵画の天地に、気|昂《あが》り、意熱して、麦のごとく燃え、雲雀のごとく翔《かけ》った、青雲社の同人は他にまた幾人か、すべておなじ装《よそおい》をしたのであった。
ただしこれは如実の描写に過ぎない。ここに三画伯の扮装《いでたち》を記したのを視《み》て、衒奇《げんき》、表異、いささかたりとも軽佻《けいちょう》、諷刺《ふうし》の意を寓《ぐう》したりとせらるる読者は、あの、紫の顱巻《はちまき》で、一つ印籠何とかの助六の気障《きざ》さ加減は論外として、芝居の入山形|段々《だんだら》のお揃《そろい》をも批判すべき無法な権利を、保有せらるべきものであらねばならない。
ついでにいう。ちょうどこの時代《じぶん》――この篇、連載の新聞の挿絵《さしえ》受持で一座の清方《きよかた》さんは、下町育ちの意気なお母さんの袖の裡《うち》に、博多の帯の端然《きちん》とした、襟の綺麗な、眉の明るい、秘蔵子の健ちゃんであったと思う。
さて続いて、健ちゃんに、上野あたりの雪景色をお頼み申そう。
清水《きよみず》の石磴《いしだん》は、三階五階、白瀬の走る、声のない滝となって、落ちたぎり流るる道に、巌角《いわかど》ほどの人影もなし。
不忍《しのばず》へ渡す橋は、玉の欄干を築いて、全山の樹立《こだち》は真白《まっしろ》である。
これは――翌年の二月《きさらぎ》、末の七日の朝の大雪であった。――
昨夜《ゆうべ》、宵のしとしと雨が、初夜過ぎに一度どっと大降りになって、それが留《や》むと、陽気もぽっと、近頃での春らしかったが、夜半《よなか》に寂然《しん》と何の音もなくなると、うっすりと月が朧《おぼろ》に映すように、大路、小路、露地や、背戸や、竹垣、生垣、妻戸、折戸に、密《そっ》と、人目を忍んで寄添う風情に、都振《みやこぶり》なる雪女郎の姿が、寒くば絹綿を、と柳に囁《ささや》き、冷い梅の莟《つぼみ》はもとより、行倒れた片輪車、掃溜《はきだめ》の破筵《やれむしろ》までも、肌すく白い袖で抱いたのである。が、由来|宿業《しゅくごう》として情と仇《あだ》と手のうらかえす雪女郎は、東雲《しののめ》の頃の極寒に、その気色たちまち変って、拳《こぶし》を上げて、戸を煽《あお》り、廂《ひさし》を鼓《たた》き、褄を飛ばして棟を蹴《け》た。白面|皓身《こうしん》の夜叉《やしゃ》となって、大空を駆けめぐり、地を埋め、水を消そうとする。……
今さかんに降っている。
十五
……盛に降っている。
たてに、斜《ななめ》に、上に、下に、散り、飛び、煽《あお》ち、舞い、漂い、乱るる、雪の中に不忍の池なる天女の楼台は、絳碧《こうへき》の幻を、梁《うつばり》の虹に鏤《ちりば》め、桜柳の面影は、靉靆《あいたい》たる瓔珞《ようらく》を白妙《しろたえ》の中空に吹靡《ふきなび》く。
厳《いつく》しき門の礎《いしずえ》は、霊ある大魚の、左右《さう》に浪を立てて白く、御堂《みどう》を護るのを、詣《もうず》るものの、浮足に行潜《ゆきくぐ》ると、玉敷く床の奥深く、千条《ちすじ》の雪の簾《すだれ》のあなたに、丹塗《にぬり》の唐戸は、諸扉《もろとびら》両方に細めに展《ひら》け、錦《にしき》の帳《とばり》、翠藍《すいらん》の裡《うち》に、銀の皿の燈明は、天地の一白に凝って、紫の油、朱燈心、火尖《ほさき》は金色《こんじき》の光を放って、三つ二つひらひらと動く時、大池の波は、さながら白蓮華《びゃくれんげ》を競って咲いた。
――白雪の階《きざはし》の下《もと》に、ただ一人、褄を折り緊《し》め、跪《ひざまず》いて、天女を伏拝む女がある。
すぐ傍《わき》に、空しき蘆簀張《よしずばり》の掛茶屋が、埋《うも》れた谷の下伏せの孤屋《ひとつや》に似て、御手洗《みたらし》がそれに続き、並んで二体の地蔵尊の、来迎《らいごう》の石におわするが、はて、この娘《こ》はの、と雪に顔を見合わせたまう。
見れば島田|髷《まげ》の娘の、紫地の雨合羽《あまがっぱ》に、黒|天鵝絨《びろうど》の襟を深く、拝んで俯向《うつむ》いた頸《えり》の皓《しろ》さ。
吹乱す風である。渋蛇目傘《しぶじゃのめ》を開いたままで、袖摺《そでず》れに引着けた、またその袖にも、霏々《ひひ》と降りかかって、見る見る鬢《びん》のおくれ毛に、白い羽子《はね》が、ちらりと来て、とまって消えては、ちらりと来て、消えては、飛ぶ。
前髪にも、眉毛にも。
その眉の上なる、朱の両方の円柱《まるばしら》に、
[#ここから4字下げ]
……妙吉祥《みょうきっしょう》……
……如蓮華《にょれんげ》……
[#ここで字下げ終わり]
一|聯《れん》の文字が、雪の降りつもる中《うち》に、瑠璃《るり》と、真珠を刻んで、清らかに輝いた。
再び見よ、烈しくなった池の波は、ざわざわとまた亀甲《きっこう》を聳《そばた》てる。
といううちに、ふと風が静まると、広小路あたりの物音が渡って来て、颯《さっ》と浮世に返ると、枯蓮の残ンの葉、折れた茎の、且つ浮き且つ沈むのが、幾千羽の白鷺《しらさぎ》のあるいは彳《たたず》み、あるいは眠り、あるいは羽搏《はう》つ風情があった。
青い頭、墨染の僧の少《わか》い姿が、御堂《みどう》内に、白足袋でふわりと浮くと、蝋燭《ろうそく》が灯を点じた。二つ三つまた五つ、灯《ほ》さきは白く立って、却って檐前《のきさき》を舞う雪の二片《ふたひら》三片《みひら》が、薄紅《うすくれない》の蝶に飜《ひるがえ》って、ほんのりと、娘の瞼《まぶた》を暖めるように見える。
「お蝋をあげましてござります。」
「は。」
僧は中腰に会釈して、
「早朝より、ようお詣り……」
「はい。」
「寒じが強うござります、ちとおあがりになって、御休息遊ばせ。」
この僧が碧牡丹《へきぼたん》の扉の蔭へかくれた時、朝詣《あさもうで》の娘は、我がために燈明の新しい光を見守った。
われら、作者なかまの申合わせで、ここは……を入れる処であるが、これが、紅《べに》で印刷が出来ると面白い。もの言わず念願する、娘の唇の微《かすか》に動くように見えるから。黒|ゝゝ《ぼちぼち》では、睫毛《まつげ》の顫《ふる》える形にも見えない。見えても、ゝと短いようで悪いから、紙|費《ついえ》だけれど、「 」白にする。
十六
時に、伏拝むのに合せた袖口の、雪に未開紅の風情だったのを、ひらりと一咲き咲かせて立って、ちょっとおくれ毛を直した顔を見ると、これは月村一雪、――中洲のお京であった。
実は――――
「……小説が上手に書けますように……」
どうも可訝《おか》しい、絵が上手になりますように、踊が、浄瑠璃《じょうるり》が、裁縫《おしごと》が、だとよく解《きこ》えるけれども、小説は、他《ほか》に何とか祈念のしようがありそうに思われる。作者だってそう思う。人生の機微に針の尖《さき》で触れますように、真理を鋭刀《メス》で裂きますように、もう一息、世界の文豪を圧倒しますように……でないと、承知の出来ない方々が多いと思う。が、一雪のお京さんは確《たしか》に前条のごとくに祈念したのである。精確な処は、傍《かたえ》に真白《まっしろ》に立たせたまえる地蔵尊に、今からでも聞かるるが可《い》い。
なお、かし本屋の店頭でもそうだし、ここでの紫の雨合羽に、塗《ぬり》の足駄など、どうも尋常《ただ》な娘で、小説家らしい処がない。断髪で、靴で、頬辺《ほおべ》が赤くないと、どうも……らしくない。が、硯友社《けんゆうしゃ》より、もっと前、上杉先生などよりなお先に、一輪、大きく咲いたという花形の曙《あけぼの》女史と聞えたは、浅草の牛肉屋の娘で――御新客《ごしん
前へ
次へ
全16ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング