声を逸《はや》って、言うとともに、火鉢越に二人が思わず握手した。
(……ふと思うと、前段に述べた、作者が、真珠《やきいも》三枚《みッつ》で、書店の支配人と、ばらりの調子で声と指を合わせたと、趣を斉《ひと》しゅうする。)
「絵だけ描いていれぱ、当人も世間も助かるものを、紫の太緒《ふとひも》を胸高々と、紋緞子《もんどんす》の袴《はかま》を引摺《ひきず》って、他《ひと》が油断をしようものなら、白襟を重ねて出やがる。歯茎が真黒《まっくろ》だというが。」
この弦光の言、――聞くべし、特説|也《なり》。
「乱杭、歯くそ隠《かくし》の鉄漿《かね》をつけて、どうだい、その状《ざま》で、全国の女子の服装を改良しようの、音楽を古代に回《かえ》すの、美術をどうのと、鼻の尖《さき》で議論をして、舌で世間を嘗《な》めやがる。爪垢《つまあか》で楽譜を汚して、万葉、古今を、あの臭い息で笛で吹くんだ。生命《いのち》知らずが、誰にも解りこないから、歌を一つ一つ、異変、畜類な声を張り、高らかに唱《うた》って、続くは横笛、ひゃらひゅで、緞子袴の膝を敲《たた》くと、一座を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》し、ほほほ、と笑って、おほん、と反るんだ。堪《たま》らないと言っちゃない。あいつ、麟を改めて鱗《うろこ》とすればいい、青大将め。――聞けばそいつが(次第前後す、段々解る)その三崎町のお伽堂とかで蟠《とぐろ》を巻いて黒い舌をべらべらとやるのかい。」
「横笛は、八本の調子を、もう一本上げたいほど高い処で張ってるのさ。貸本屋へしけ込むのは、道士|逸人《いつじん》、どれも膏切《あぶらぎ》った髑髏《しゃれこうべ》と、竹如意《ちくにょい》なんだよ――「ちとお慰みにごらん遊ばせ。」――などとお時の声色をそのまま、手や肩へ貸本ぐるみしなだれかかる。女房がまた、背筋や袖をしなり、くなり、自由に揉《も》まれながら、どうだい頬辺《ほっぺた》と膝へ、道士、逸人の面を附着《くッつ》けたままで、口絵の色っぽい処を見せる、ゆうぜんが溢出《はみで》るなぞは、地獄変相、極楽、いや天国変態の図だ。」
「図かい。」
「図だよ。」
「見料は高かろう。」
「高い、何、見料どころか、この図を視《み》ながら、ちょんぼり髯《ひげ》の亭主が、「えへへ、ご壮《さかん》な事《こつ》だい。」勢《いきおい》の趣くところ、とうとう袴を穿《は》いて、辻の角の(安旅籠《やすはたご》)へ、両画伯を招待さ……「見苦しゅうはごわすが、料理店は余り露骨……」料理屋の余り露骨は可訝《おか》しいがね、腰掛同然の店だからさ、そこから、むすび針魚《さより》の椀《わん》、赤貝の酢などという代表的なやつを並べると、お時が店をしめて、台所から、これが、どうだい葛籠《つづら》に秘め置いた小紋の小袖に、繻珍《しゅちん》の帯という扮装《いでたち》で画伯ご所望の前垂《まえだれ》をはずしてお取持さ。色紙、短冊、扇面、紙本、立どころに、雨となり、雲となり……いや少し慎もう……竹となり、蘭となる。……情流既に枯渇して、今はただ金慾《きんよく》、野《や》を燎《や》く髯だからね。向うの写真館の、それ「三大画伯お写真。」へは、三崎座の看板前、大道の皿廻しほどには人だかりがするんだから、考えたんだよ。
(――これ皆、中洲を伺い、三崎町を覗く、荷高似内の見聞して報ずるところさ。)
ところで、青麟――青麟と中洲の関係は、はじめ、ただ、貸本屋から本を借りるには、帳面へ、所番地を控える常規《きまり》だ。きっと、馴染か、その時が初めかは分らないが、店頭《みせさき》で見たお嬢さんの住居《すまい》も名も、すぐ分るだろう、というので、誰に見せる気だか薄化粧《うすげ》って。」
「白粉《おしろい》を?……遣るだろう!」
「すぼめ口に紅をつけて「ほほほ景気はどうかね。」とお伽堂へ一人で青麟が顕《あら》われたそうだ。この方は、女房の手にも足にも触りっこなし、傍へ寄ろうともしない澄まし方、納まり方だそうだが、見ていると、むかっとする、離れていても胸が悪い、口をきかれると、虫唾《むしず》が走る、ほほほ、と笑われると、ぐ、ぐ、と我知らず、お時が胸へ嘔上《こみあ》げて、あとで黄色い水を吐く……」
「聞いちゃおられん、そ、そいつが我がお京さんを。」
「痛い、痛い。」
「あ、何度めだい、また握手した。糸|的《こう》もよく一息に饒舌《しゃべ》ったなあ。」
三十一
「まず握手を解こう。両方がこう意気込んでは、青麟輩に――断って置くが、意地にも我慢にも、所得は違うが――彼等に対して、いやしくも、糸七、弦光二人|掛《がか》りのようで癪に障る。そこで、大切なその話はどうなったんだい。」
「……いずれ、その安料理屋へ青麟を請待《しょうだい》さ。こいつは、あと二人より大分に値が違うそうだからね。その節は、席を改めまして、が、富士見楼どころだろう。お伽堂の亭主の策略さ。
そこへ、愛読の俥《くるま》、一つ飛べば敬拝の馬車に乗せて、今を花形の女義太夫もどきで中洲の中二階から、一雪をおびき出す。」
「三崎町へ、いいえさ、地獄変相の図の中へな、ううう。」
「せき込むなよ……という事も出来るし、亭主がまた髯を捻《ひね》って、「先方御|親父《しんぷ》が、府会議員とごわすれば、直接に打附《ぶつか》って見るも手廻しが早いでごわす。久しく県庁に勤めたで、大なり、小なり議員を扱う手心も承知でごわす。」などという段取になってるそうだ。」
弦光がこの時、腕を拱《こまぬ》いた。
「少からず煩《うるさ》いな、いつからだね、そんな事のはじまってるのは。」
「初冬から年末……ははは、いやに仲人染みたぜ……そち以来《こち》だそうだ。」
「……だそうじゃ不可《いけな》いよ、冷淡だよ、友達|効《がい》のない。」
「頼まれたのは、今日はじめてじゃないか。」
「それにしても冷淡過ぎるよ。――したたかに中洲へ魔手が伸びているのに。」
「私は中洲が煮て喰われようが、焼いて……不可《いけな》い、人道の問題だ。ただし、呼出されようが、出されまいが、喰わそうが喰わすまいが、一雪の勝手だから、そんな事は構っちゃいられん。……不首尾重って途絶えているけれど、中洲より洲崎《すさき》の遊女《おんな》が大切なんだ。しかし、心配は要るまいと思う。荷高の偵察によれば――不思議な日、不思議な場合、得《え》も知れない悪臭い汚い点滴《したたり》が頬を汚して、一雪が、お伽堂へ駆込んだ時、あとで中洲の背後《うしろ》へ覆被《おいかぶ》さった三人の中《うち》にも、青麟の黒い舌の臭気が頬にかかった臭さと同じだ、というのを、荷高が、またお時から、又聞《またぎき》、孫引に聞いている。お時でさえ黄水を吐く。一雪は舐《な》められると血を吐くだろう、話にはなりゃしないよ。」
弦光は案じ入って、立処《たちどころ》に年を取ること十《とお》ばかり。
「いやいや、そうでない。すべて悲劇はそこらで起る。不思議に、そんな縁の――万々一あるまいが――結ばる事が、事実としてありかねない。予感が良くない。胸が騒ぐ。……糸ちゃん、すぐにもお伽堂とかへ行って。」
「そいつは、そいつは不可《いけな》い……」
「なぜだよ、どうもお伽堂というのは、糸|的《こう》の知合からはじまった事らしいのに、妙に自分を除外して、荷高ばかりを廻しているし、第一、中洲がだね、二三度、その店へ行《ゆ》きながら、糸|的《こう》のうわさなぞをしないらしいのは、おかしいじゃないか。」
「ちっともしない、何にも言わない。またこっちも、うわさなんかして貰いたくないんだよ。」
――(様子を見ると、仔細《しさい》は什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《いかに》、京子が『たそがれ』を借りた事など、女房は、それに一言も及ばぬらしい。)――
「ただ、いかんせん、亭主に高利の借がある。催促が厳しいんだ。亭主の催促が厳しいのに――そこを蔭になり、日向になり、「あなたア」などとその目でじろりと遣るだろう……白肉の柔い楯《たて》になって、庇《かば》ってくれようという――女房を、その上に、近い頃また痛めつけた。」
「誰だい、髑髏かい、竹如意かい。」
「また急込《せきこ》むよ。中洲の話になってからというものは、どうも、骨董《こっとう》はあせって不可《いけな》い。話の続きでも知れてるじゃないか。……高利の借りぬし、かくいう牛骨、私とそれに弁持十二さ。」
「何だ二人でか、まさか、そんな竹如意、髑髏の亜流のごとき……」
「黙るよ、私は。失礼な、素人を馬鹿な、誰が失礼を。」
「はやまった、言《ことば》のはずみだ、逸外《はやま》った。その短銃《たんづつ》を、すぐに引掴《ひっつか》んで引金を捻《ひね》くるから殺風景だ。」
「けれどもね。実は、その時の光景というのが、短銃と短刀同然だったよ。弁持と二人で、女房を引挟《ひっぱさ》んで。」
といって、苦笑した。
三十二
「――何ね、義理と附合で、弁持と二人で出掛けなくちゃならない葬式《とむらい》があった、青山の奥の裏寺さ。不断は不断、お儀式の時の、先生のいいつけが厳しい。……というのは羽織袴です――弁持も私も、銀行は同一《おなじ》取引の資産家だから、出掛けに、捨利《すてり》で一着に及んだ礼服を、返りがけに質屋の店さきで、腰を掛けながら引剥《ひっぱ》ぐと、江戸川べりの冬空に――いいかね――青山から、歩行《てく》で一度中の橋手前の銀行へ寄ったんだ。――着流《きながし》と来て、袂《たもと》へ入れた、例の菓子さ、紫蘇入《しそいり》の塩竈《しおがま》が両提《ふたつさげ》の煙草入と一所にぶらぶら、皀莢《さいかち》の実で風に驚く……端銭《はした》もない、お葬式《とむらい》で無常は感じる、ここが隅田《おおかわ》で、小夜時雨《さよしぐれ》、浅草寺の鐘の声だと、身投げをすべき処だけれど、凡夫|壮《さかん》にして真昼間《まっぴるま》午後一時、風は吹いても日和はよしと……どうしても両国を乗越《のっこ》さないじゃ納まらない。弁持も洲崎に馴染《なじみ》があってね、洲崎の塩竈……松風|空風《からかぜ》遊びという、菓子台一枚で、女人とともに涅槃《ねはん》に入《い》ろう。……その一枚とさえいう処を、台ばかり。……菓子はこれだ、と袂から二人揃って、件《くだん》の塩竈を二包。……こいつには、笹川の剣士、平手造酒《ひらてみき》の片腕より女郎が反《そ》るぜ、痛快! となった処で――端銭もない。
ほかに工面のしようがないので、お伽堂へ大刀《だんびら》さ。
三崎町の土手を行ったり来たり、お伽堂の裏手になる。……なまじっか蘆《あし》がばらばらだから、直ぐ汐入《しおいり》の土手が目先にちらついて、気は逸《はや》るが、亭主が危い。……古本|漁《あさ》りに留守の様子は知ってるけれど、鉄壺眼《かなつぼまなこ》が光っては、と跼《しゃが》むわ、首を伸ばすわで、幸いあいてる腰窓から窺《うかが》って、大丈夫。店前《みせさき》へ廻ると、「いい話がある、内証だ。」といきなり女房を茶の間へ連込むと、長火鉢の向うへ坐るか坐らないに、「達引《たてひ》けよや。」と身構えた。「ありませんわ。」極《きま》ってら。「そこだ。」というと、言合わせたように、両方から詰寄るのと、両提から鉄砲張《てっぽうばり》を、両人、ともに引抜くのとほとんど同時さ、「身体《からだ》から借りたいんだ。」「あれえ、」といったぜ。いやみな色気だ、袖屏風《そでびょうぶ》で倒れやがる、片膝はみ出させた、蹴出《けだ》しでね。「騒ぐな。」と言句《もんく》は凄《すご》いぜ、が、二人とも左右に遁《に》げてね、さて、身体から珊瑚《さんご》の五分珠《ごぶだま》という釵《かんざし》を借りたんだがね。……この方の催促は、またそれ亭主が妬《や》くといういやなものが搦《から》んでさ、髻《たぶさ》を掴《つか》んで、引きずって、火箸《ひばし》で打《ぶ》たれました、などと手紙を寄越す、田舎芝居の責場があるから。」
「いや、はや、どうも。いや、どうも。」
屋根の雪が
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