まち朱筆の一棒を啖《くら》うだけで、気の吐きどころのない、嵎《ぐう》を負う虎、壁裏の蝙蝠《こうもり》、穴籠《あなごもり》の熊か、中には瓜子《うりこ》という可憐なのも、気ばかり手負の荒猪《あらじし》だろう。
見す見す一雪女史に先《せん》を越されて、畜生め、でいる処へ、私のその『べっかっこ』だ、行《や》った! 行った! 痛快! などと喝采だから、内々得意でいたっけが――一日《あるひ》、久しく御不沙汰で、台町へ機嫌伺いに出た処が、三和土《たたき》に、見馴れた二足の下駄が揃えてある。先生お出掛けらしい。玄関には下の塾から交代の当番で、弁持十二が居るのさ。日曜だったし……すぐの座敷で、先生は箪笥《たんす》の前で着換えの最中、博多の帯をきりりと緊《しま》った処なんだ。令夫人は藤色の手柄の高尚《こうとう》な円髷《まるまげ》で袴を持って支膝《つきひざ》という処へ、敷居越にこの面《つら》が、ヌッと出た、と思いたまえ。」
「その顔だね。」
「この面《つら》だ。――今朝なぞは特に拙いよ。「糸。」縮んだよ、先生の声が激しい。「お前、中洲のお京の悪口を書いたそうだな。」いきなりだろう、へどもどした。「は、いえ
前へ
次へ
全151ページ中93ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング