―ある雨の日のつれづれに表《おもて》を通る山高帽子の三十男、あれなりと取らずんば――と二十三の女にして、読書界に舌を巻かせた、あの、すなわちその、怪しからん……しかも梅雨時、陰惨としていた。低い格子戸を音訪《おとず》れると、見通しの狭い廊下で、本郷の高台の崖下だから薄暗い。部屋が両方にある、茶の間かと思う左の一層暗い中から、ひたひたと素足で、銀杏返《いちょうがえし》のほつれながら、きりりとした蒼白《あおじろ》い顔を見せた、が、少し前屈《まえかが》みになった両手で、黒繻子《くろじゅす》と何か腹合せの帯の端を、ぐい、と取って、腰を斜めに、しめかけのまま框《かまち》へ出た。さて、しゃんと緊《しま》ったところが、(引掛《ひっか》け、)また、(じれった結び)、腰の下緊《したじめ》へずれ下った、一名(まおとこ結び)というやつ、むすび方の称《とな》えを聞いただけでも、いまでは町内で棄て置くまい。差配が立処《たちどころ》に店《たな》だてを啖《く》わせよう。
 ――「失礼な、うまいなり、いいえね、余りくさくさするもんですから、湯呑で一杯……てったところ……黙ってて頂戴。」――
 端正どころか、これだと、
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