の油断のない、血気|盛《ざかり》の早具足なのが、昼寝時の不意討に、蠅叩《はえたたき》もとりあえず、ひたと向合った下土間の白い髯を、あべこべに、炎天九十度の物干から、僧正坊が覗《のぞ》いたか、と驚いた、という話がある。

       二

 おなじ人が、金三円ばかりなり、我楽多文庫売上の暮近い集金の天保銭……世に当百ときこえた、小判形が集まったのを、引攫《ひっさら》って、目ざす吉原、全盛の北の廓《くるわ》へ討入るのに、錣《しころ》の数ではないけれども、十枚で八銭だから、員数およそ四百枚、袂《たもと》、懐中《ふところ》、こいつは持てない。辻俥《つじぐるま》の蹴込《けこみ》へ、ドンと積んで、山塞《さんさい》の中坂を乗下ろし、三崎|町《ちょう》の原を切って、水道橋から壱岐殿坂《いきどのざか》へ、ありゃありゃと、俥夫《くるまや》と矢声を合わせ、切通《きりどおし》あたりになると、社中随一のハイカラで、鼻めがねを掛けている、中《ちゅう》山高、洋服の小説家に、天保銭の翼《はね》が生えた、緡束《さしたば》を両手に、二筋振って、きおいで左右へ捌《さば》いた形は、空を飛んで翔《か》けるがごとし。不忍池《し
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