いろいろな事を、ようご存じ。……で、その結綿のかな文字を、女房の手に返すと、これがために貸本屋へ立寄ったろう、借りて行く心づもりに、口絵を伏せて、表紙をきちんと、じっと見た。
「あら。」
 と瞳をうつくしく、
「ちょいと、辻町糸七作、『たそがれ』――お書きになったのは、これは、どちらの、あのこちらの御主人。」
「飛んだ、とんだ、いいえ、飛んでもない。」
 と何を狼狽《うろた》えたか、女房はまた顔を赤くした。同時に、要するに、黄色く、むくんだ、亭主の鼻に、額が打着《ぶつ》かったに相違ない。とにかく、中味が心中で、口絵の光氏とたそがれが目前《めさき》にある、ここへ亭主に出られては、しょげるより、悲《かなし》むより、周章《あわ》て狼狽《うろた》えずにいられまい。
「飛んでもない、あなた。」
 と、息も忙《せわ》しく、肩を揉《も》んで、
「宅などが、あなた、大それた。」
 そうだろう、題字は颯爽《さっそう》として、輝かしい。行と、かなと、珊瑚灑《さんごそそ》ぎ、碧樹《へきじゅ》梳《くしけず》って、触るものも自《おのず》から気を附けよう。厚紙の白さにまだ汚点《しみ》のない、筆の姿は、雪に珠琳《じ
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