、お嬢さんの肌についた、ゆうぜんさながらの風情も可懐《なつか》しい、として、文金だの、平打だの、見惚《みと》れたように呆然《ぽかん》として、現在の三崎町…あの辺町《あたり》の様子を、まるで忘れていたのでは、相済むまい。
 ――場所によると、震災後の、まだ焼原《やけのはら》同然で、この貸本屋の裏の溝が流れ込んだ筈《はず》の横川などは跡も見えない。古跡のつもりで、あらかじめ一度見て歩行《ある》いた。ひょろひょろものの作者ごときは、外套《がいとう》を着た蟻のようで、電車と自動車が大昆虫のごとく跳梁奔馳《ちょうりょうほんち》する。瓦礫《がれき》、烟塵《えんじん》、混濁の巷《ちまた》に面した、その中へ、小春の陽炎《かげろう》とともに、貸本屋の店頭《みせさき》へ、こうした娘姿を映出すのは――何とか区、何とか町、何とか様ア――と、大入の劇場から女の声の拡声器で、木戸口へ呼出すように楽には行《ゆ》かない。なかなかもって、アテナ洋墨《インキ》や、日用品の唐墨の、筆、ペンなどでは追っつきそうに思われぬ。彫るにも刻むにも、鋤《すき》と鍬《くわ》だ。
 さあ、持って来い、鋤と鍬だ。
 これだと、勢い汗|膏《あ
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