なたのお顔も、姿も見ないで、跣足《はだし》で庭へ逃出した始末です。断じて、決して、あなたと知って逃げたのではありません。」
 しまった! 大家が家賃の催促でも済んだものを、馬鹿の智慧は後からで、お京のとりなしの純真さに、つい、事実をあからさまに、達引だの、いや矢ぶみだの、あさましく聞きはしないか、と、舌がたちまち縮んで咽喉《のど》へ声の詰る処へ。
「光邦様。」
 日ぶみ矢ぶみの色男の汗を流した顔を見よ。いまうわさしたその窓から、お滝の蝶々髷が、こん度は羽目板の壊れを踏んで上ったらしい。口まで出た。
「お客様の、ご馳走は。……つかいに行って上げるわよ。」
 また、冷汗だ、銭がない。

       三十九

「これは、これは、おうようこそや。……今の、上《あが》り端《ばな》を覗いたら、見事な駒下駄《かっこ》があったでの。」
 ちと以前より、ごそごそと、台所で、土瓶、炭、火箸、七輪。もの音がしていたが、すぐその一枚の扉《ひらき》から、七十八の祖母が、茶盆に何か載せて出た。
 これにお京のお諸礼式は、長屋に過ぎて、瞠目《どうもく》に価値《あたい》した。
「あの、お祖母様《ばあさま》……お祖母
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