のも、おさすりらしいが、柔《やわらか》ずくめで、前垂《まえだれ》の膝も、しんなりと軟《やわらか》い。……その癖半襟を、頤《あご》で圧《お》すばかり包ましく、胸の紐の結びめの深い陰から、色めく浅黄の背負上《しょいあげ》が流れたようにこぼれている。解けば濡れますが、はい、身はかたく緊《し》めて包んで置きます、といった風容《ふう》。……これを少々気にしたが悪いだろうか……お伽堂の店番を。

       三

 何、別に仔細《しさい》はない。客引に使った中年増でもなければ、手軽な妾《めかけ》が世間体を繕っているのでもない。お伽堂というのは、この女房の名の、おときをちょっと訛《なま》ったので。――勿論亭主の好みである。
 つい近頃、北陸の城下町から稼ぎに出て来た。商売往来の中でも、横町へそれた貸本屋だが、亭主が、いや、役人上りだから主人といおう、県庁に勤めた頃、一切猟具を用いず、むずと羽掻《はがい》をしめて、年紀《とし》は娘にしていい、甘温、脆膏《ぜいこう》、胸白《むなじろ》のこの鴨《かも》を貪食した果報ものである、と聞く。が、いささか果報焼けの気味で内臓を損じた。勤労に堪えない。静養かたがた女で間に合う家業でつないで、そのうち一株ありつく算段で、お伽堂の額を掛けたのだそうである。
 開業|当初《のっけ》に、僥倖《ぎょうこう》にも、素晴らしい利得《もうけ》があった。
「こちらじゃ貸すばかりで、買わないですか。」
 学生が一人、のっそり立ち、洋書を五六冊|引抱《ひんだ》いて突立《つッた》ったものである。
「は、おいで遊ばしまし。」
 と、丁寧に、三指もどきのお辞儀をして、
「あの、もしえ。」
 と初々《ういうい》しいほど細い声を掛けると、茶の間の悪く暗い戸棚の前で、その何かしら――内臓病者補壮の食はまだ考えない、むぐむぐ頬張っていた士族|兀《はげ》の胡麻塩《ごましお》で、ぶくりと黄色い大面《おおづら》のちょんびり眉が、女房の古らしい、汚れた半※[#「巾+白」、第4水準2−8−83]《ハンケチ》を首に巻いたのが、鼠色の兵子帯《へこおび》で、ヌーと出ると、捻《ひね》っても旋《ねじ》っても、眦《めじり》と一所に垂れ下る髯の尖端《とっさき》を、グイと揉《も》み、
「おいでい。」
 と太い声で、右の洋冊《ようしょ》を横縦に。その鉄壺眼《かなつぼまなこ》で……無論読めない。貫目を引きつつ
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