がちょろりと鯰のような天窓《あたま》を出すと、流るるごとく俥が寄った。お嬢さんの白い手が玉のようにのびて、軒はずれに衝《つ》と招いたのである。と、緋羽《ひばね》の蹴込敷へ褄《つま》はずれ美しく、ゆうぜんの模様にない、雪なす山茶花《さざんか》がちらりと上へかくれた。

       十四

 しかり、文金《たかしまだ》のお嬢さんは、当時中洲辺に住居《すまい》した、月村京子、雅名を一雪《いっせつ》といって、実は小石川台町なる、上杉先生の門下の才媛《さいえん》なのである。
 ちょっとした緊張にも小さき神は宿る。ここに三人の凝視の中に、立って俥を呼んだ手の、玉を伸べたのは、宿れる文筆の気の、おのずから、美しい影を顕《あら》わしたものであろう。
 あたかも、髑髏と、竹如意と、横笛とが、あるいは燃え、あるいは光り、あるいは照らして、各々自家識見の象徴を示せるごとくに、
 そういえば――影は尖《とが》って一番長い、豆府屋の唐人笠も、この時その本領を発揮した。
 余り随《つ》いて歩行《ある》いたのが疾《やま》しかったか、道中《みちなか》へ荷を下ろして、首をそらし、口を張って、
 ――「とうふイ、生揚、雁もどき。」――
 唐突《だしぬけ》に、三人のすぐ傍《そば》で……馬鹿な奴である。
 またこの三人を誰だ、と思う?……しかしこれは作者の言《ことば》よりも、世上の大《おおい》なる響《ひびき》に聞くのが可《よ》かろう。――次いで、四日と経《た》たないうちに、小川写真館の貸本屋と向合《むかいあ》った店頭《みせさき》に、三人の影像が掲焉《けつえん》として、金縁の額になって顕われたのであるから。
 ――青雲社、三大画伯、御写真――
 よって釈然とした。紋の丸は、色も青麦である。小鳥は、雲雀《ひばり》である。
 幅広と胸に掛けた青白の糸は、すなわち、青天と白雲を心に帯《たい》した、意気|衝天《しょうてん》の表現なのである。当時、美術、絵画の天地に、気|昂《あが》り、意熱して、麦のごとく燃え、雲雀のごとく翔《かけ》った、青雲社の同人は他にまた幾人か、すべておなじ装《よそおい》をしたのであった。
 ただしこれは如実の描写に過ぎない。ここに三画伯の扮装《いでたち》を記したのを視《み》て、衒奇《げんき》、表異、いささかたりとも軽佻《けいちょう》、諷刺《ふうし》の意を寓《ぐう》したりとせらるる読者は、あの
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