ゅりん》の装《よそおい》であった。
「あの、どうも、勿体なくて、つけつけ申しますのも、いかがですけれど、小石川台町にお住居《すまい》のございます、上杉様、とおっしゃいます。」
「ええ、映山先生。」
お嬢さんの珊瑚を鏤《ちりば》めた蒔絵《まきえ》の櫛がうつむいた。
八
「どういたしまして。お嬢様、お心易さを頂くなぞとは、失礼で、おもいもよりませんのでございますけれど。」
この紙表紙の筆について、お嬢さんが、貸本屋として、先生と知己《ちかづき》のいわれを聞いたことはいうまでもなかろう。
「実は、あの、上杉先生の、多勢のお弟子さん方の。……あなたは、小説がおすきでいらっしゃいますのを、お見受け申しましたから……ご存じかも知れませんけれど、そのお一人の、糸七さんでございますが。」
「ええ。」
「実は――私ども、うまれが同じ国でございましてね、御懇意を願っておりますものですから。」
「ちっとも私……まあ、そうですか。」
「その御縁で、ついこの間、糸七さんと、もう一人おつれになって、神保町辺へ用達《ようたし》においでなさいましたお帰りがけ、ご散歩かたがた、「どうだい、新店は立行《たちゆ》くかい。」と最初《のっけ》から掛構《かけかま》いなくおっしゃって。――こちらは、それと聞きますと、お大名か、お殿様が御微行《おしのび》で、こんな破屋《あばらや》へ、と吃驚《びっくり》しましたのに、「何にも入《い》らない。南画の巌《いわ》のようなカステーラや、べんべらものの羊羹なんか切んなさるなよ。」とお笑いなすって、ちょうど宅が。」
また眉を顰《ひそ》めたが、
「小工面《こぐめん》に貸本へ表紙をかぶせておりましたのをごらんなさいまして、――「辻町のやつ、まだ単行が出来ないんだ。一冊|纏《まとま》ったもののように、楽屋|中《うち》で祝ってやろう。筆を下さい。」――この硯箱《すずりばこ》を。」
「ちょいと、一度これを。」
と、お嬢さんは、硯箱を押させて、仲よしの押絵の羽子板のように胸へ当てていた『たそがれ』を、きちんと据えた。
「……「ひどい墨だな、あやしい茶人だと、これを鳥の子に包むんだ。」とおっしゃりながら、すらすらおしたためになったんでございますが、あの、筆をおとり遊ばしながら、「婦《おんな》は遊女《おいらん》だ、というじゃないか。……(おん箸入《はしいれ》。)とかく
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