《みどう》の棟は日の光紫に、あの氷月の背戸あたり、雪の陽炎《かげろ》う幻の薄絹かけて、紅《くれない》の花が、二つ、三つ。
三十三
辻町糸七は、ぽかんとしていた仕入もの、小机の傍《わき》の、火もない炉辺《ろばた》から、縁を飛んで――跣足《はだし》で逃げた。
逃げた庭――庭などとは贅《ぜい》の言分。放題の荒地で、雑草は、やがて人だけに生茂《おいしげ》った、上へ伸び、下を這《は》って、芥穴《ごみあな》を自然に躍った、怪しき精のごとき南瓜《かぼちゃ》の種が、いつしか一面に生え拡がり、縦横無尽に蔓《はびこ》り乱れて、十三夜が近いというのに、今が黄色な花ざかり。花盛りで一つも実のない、ない実の、そのあって可《い》い実の数ほど、大きな蝦蟇《がま》がのそのそと這いありく。
歌俳諧や絵につかう花野茅原とは品変って、自《おのず》から野武士の殺気が籠《こも》るのであるから、蝶々も近づかない。赤蜻蛉《あかとんぼ》もツイとそれて、尾花の上から視《なが》めている。……その薄《すすき》さえ、垣根の隅に忍ぶばかり、南瓜の勢《いきおい》は逞《たくま》しく、葉の一枚も、烏を組んで伏せそうである。
――遠くに居る家主が、かつて適切なる提案をした。曰く、これでは地味が荒れ果てる、無代《ただ》で広い背戸を皆借そうから、胡瓜《きゅうり》なり、茄子《なす》なり、そのかわり、実のない南瓜を刈取って雑草を抜けという。が、肥料なしに、前栽《せんざい》もの、実入《みいり》はない。二十六、七の若いものに、畠《はたけ》いじりは第一無理だし、南瓜の蔓《つる》は焚附《たきつけ》にもならぬ。町に、隠れたる本草家があって、その用途を伝授しても、鎌を買う資本《もとで》がない、従ってかの女、いや、あの野郎の狼藉《ろうぜき》にまかせてあるが、跳梁跋扈《ちょうりょうばっこ》の凄《すさま》じさは、時々切って棄てないと、木戸を攀《よ》じ、縁側へ這いかかる。……こんな荒地は、糸七ごときに、自《おのず》からの禄と見えて、一方は隣地の華族|邸《やしき》の厚い塀だし、一方は大きな植木屋の竹垣だし、この貸屋の背戸として、小さく囲った、まばら垣は、早く朽崩れたから杭もないのに、縁側の片隅に、がたがただけれども、南瓜の蔓が開《あ》け閉《た》てする、その木戸が一つ附いていて、前長屋総体と区切があるから、およそ一百坪に余るのが、おのず
前へ
次へ
全76ページ中57ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング