一人、床几は奥にも空いたのに、婆さんの居る腰掛を小楯《こだて》に踞《しゃが》んで、梨の皮を剥《む》いていたのが、ぺろりと、白い横銜《よこぐわ》えに声を掛ける。
 真顔に、熟《じっ》と肩を細く、膝頭《ひざがしら》に手を置いて、
「滅相もない事を。老人若い時に覚えがあります。今とてもじゃ、足腰が丈夫ならば、飛脚なと致いて通ってみたい。ああ、それもならず……」
 と思入ったらしく歎息《ためいき》したので、成程、服装《みなり》とても秋日和の遊びと見えぬ。この老人《としより》の用ありそうな身過ぎのため、と見て取ると、半纏着は気を打って、悄気《しょげ》た顔をして、剥いて落した梨の皮をくるくると指に巻いて、つまらなく笑いながら、
「ははは、野原や、山路《やまみち》のような事を言ってなさらあ、ははは。」
「いやいや、まるで方角の知れぬ奥山へでも入ったようじゃ。昼日中|提灯《ちょうちん》でも松明《たいまつ》でも点《つ》けたらばと思う気がします。」
 がっくりと俯向《うつむ》いて、
「頭《つむり》ばかりは光れども……」
 つるりと撫《な》でた手、頸《ぼん》の窪《くぼ》。
「足許は暗《やみ》じゃが、のう。」
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