がござって、一《ひと》舞台、われらのためにお世話なさって、別しては老人にその釣狐|仕《つかまつ》れの御意じゃ。仕るは狐の化《ばけ》、なれども日頃の鬱懐《うっかい》を開いて、思うままに舞台に立ちます、熊が穴を出ました意気込、雲雀《ひばり》ではなけれども虹《にじ》を取って引く勢《いきおい》での……」
 と口とは反対《うらはら》、悄《しお》れた顔して、娘の方に目を遣《や》って、
「貴女《あなた》に道を尋ねました、あの日も、実は、そのお肝入り下さるお邸へ、打合せ申したい事があって罷出る処でござったよ。
 時に、後月《あとつき》のその舞台は、ちょっと清書にいたし、方々《かたがた》の御内見に入れますので、世間晴れての勤めは、更《あらた》めて来《きたる》霜月の初旬《はじめ》、さるその日本の舞台に立つ筈《はず》でござる。が、剣《つるぎ》も玉も下磨きこそ大事、やがては一拭いかけまするだけの事。先月の勤めに一方ならず苦労いたし、外を歩行《ある》くも、から脛《ずね》を踏んでとぼつきます……と申すが、早や三十年近う過ぎました、老人が四十代、ただ一度、芝の舞台で、この釣狐の一役を、その時は家元、先代の名人がアド
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