《あ》せたを着、焦茶の織ものの帯を胴ぶくれに、懐大きく、腰下りに締めた、顔は瘠《や》せた、が、目じしの落ちない、鼻筋の通ったお爺《じい》さん。
 眼鏡《めがね》はありませんか。緑青色の鳶だと言う、それは聖心女子院とか称《とな》うる女学校の屋根に立った避雷針の矢の根である。
 もっとも鳥居|数《かず》は潜《くぐ》っても、世智に長《た》けてはいそうにない。
 ここに廻って来る途中、三光坂を上《あが》った処で、こう云って路《みち》を尋ねた……
「率爾《そつじ》ながら、ちとものを、ちとものを。」
 問われたのは、ふらんねるの茶色なのに、白縮緬《しろちりめん》の兵児帯《へこおび》を締めた髭《ひげ》の有る人だから、事が手軽に行《ゆ》かない。――但し大きな海軍帽を仰向《あおむ》けに被《かぶ》せた二歳ぐらいの男の児《こ》を載せた乳母車を曳《ひ》いて、その坂路《さかみち》を横押《よこおし》に押してニタニタと笑いながら歩行《ある》いていたから、親子の情愛は御存じであろうけれども、他人に路を訊《き》かれて喜んで教えるような江戸児《えどっこ》ではない。
 黙然《だんまり》で、眉と髭と、面中《つらじゅう》の威厳
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