と振ると、組違えに、トンと廻って、両の拳《こぶし》を、はったりと杖に支《つ》いて、
(横須賀行はこちらかや。)
追掛《おっか》けに、また一遍、片足を膝頭へ巻いて上げ、一本の脛を突支棒《つッかえぼう》に、黒い尻をはっと揺《ゆす》ると、組違えにトンと廻って、
(横須賀行はこちらかや。)
と、早や此方《こなた》ざまに参った駅夫どのに、くるりと肩ぐるみに振向いた。二度見ました。痩《やせ》和尚の黄色がかった青い長面《ながづら》。で、てらてらと仇光《あだびか》る……姿こそ枯れたれ、石も点頭《うなず》くばかり、行《おこない》澄《すま》いた和尚と見えて、童顔、鶴齢《かくれい》と世に申す、七十にも余ったに、七八歳と思う、軽いキャキャとした小児《こども》の声。
で、またとぼとぼと杖に縋《すが》って、向う下《さが》りに、この姿が、階子段に隠れましたを、熟《じっ》と視《み》ると、老人思わず知らず、べたりと坐った。
あれよあれよ、古狐が、坊主に化けた白蔵主《はくぞうす》。したり、あの凄《すご》さ。寂《さびし》さ。我は化けんと思えども、人はいかに見るやらん。尻尾を案じた後姿、振返り、見返る処の、科《こなし》、趣《おもむき》。八幡《はちまん》、これに極《きま》った、と鬼神が教《おしえ》を給《たも》うた存念。且つはまた、老人が、工夫、辛労《しんろう》、日頃の思《おもい》が、影となって顕《あらわ》れた、これでこそと、なあ。」
与五郎、がっくりと胸を縮めて、
「ああ、業《わざ》は誇るまいものでござる。
舞台の当日、流儀の晴業《はれわざ》、一世の面目《めんぼく》、近頃衰えた当流にただ一人、(古沼の星)と呼ばれて、白昼にも頭が光る、と人も言い、我も許した、この野雪与五郎。装束|澄《すま》いて床几《しょうぎ》を離れ、揚幕を切って!……出る! 月の荒野《あれの》に渺々《びょうびょう》として化法師の狐ひとつ、風を吹かして通ると思《おぼ》せ。いかなこと土間も桟敷《さじき》も正面も、ワイワイがやがやと云う……縁日同然。」
十二
「立って歩行《ある》く、雑談《ぞうだん》は始まる、茶をくれい、と呼ぶもあれば、鰻飯《うなぎめし》を誂《あつら》えたにこの弁当は違う、と喚《わめ》く。下足の札をカチカチ敲《たた》く。中には、前番《まえ》のお能のロンギを、野声を放って習うもござる。
が、おのれ見よ
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