びめ》を胸に、烏帽子を背に掛けた。
それから伯爵の釵を抜いて、意気込んで一振り振ると、……黒髪の颯《さっ》と捌《さば》けたのが烏帽子の金に裏透いて、さながら金屏風《きんびょうぶ》に名誉の絵師の、松風を墨で流したようで、雲も竜もそこから湧くか、と視《なが》められた。――これだけは工夫した女優の所作で、手には白金《プラチナ》が匕首《あいくち》のごとく輝いて、凄艶《せいえん》比類なき風情であった。
さてその鸚鵡《おうむ》を空に翳《かざ》した。
紫玉の※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った瞳《め》には、確《たしか》に天際の僻辺《へきへん》に、美女の掌《て》に似た、白山は、白く清く映ったのである。
毛筋ほどの雲も見えぬ。
雨乞の雨は、いずれも後刻の事にして、そのまま壇を降《くだ》ったらば無事だったろう。ところが、遠雷の音でも聞かすか、暗転にならなければ、舞台に馴《な》れた女優だけに幕が切れない。紫玉は、しかし、目前《まのあたり》鯉魚《りぎょ》の神異を見た、怪しき僧の暗示と讖言《しんげん》を信じたのであるから、今にも一片の雲は法衣の袖のように白山の眉に飜るであろうと信じて、しばしを待つ間《ま》を、法壇を二廻り三廻り緋の袴して輪に歩行《ある》いた。が、これは鎮守の神巫《みこ》に似て、しかもなんば、という足どりで、少なからず威厳を損じた。
群集の思わんほども憚《はばか》られて、腋《わき》の下に衝《つ》と冷き汗を覚えたのこそ、天人の五衰《ごすい》のはじめとも言おう。
気をかえて屹《きっ》となって、もの忘れした後見《こうけん》に烈《はげ》しくきっかけを渡す状《さま》に、紫玉は虚空に向って伯爵の鸚鵡を投げた。が、あの玩具《おもちゃ》の竹蜻蛉のように、晃々《きらきら》と高く舞った。
「大神楽《だいかぐら》!」
と喚《わめ》いたのが第一番の半畳で。
一人口火を切ったから堪らない。練馬大根と言う、おかめと喚く。雲の内侍《ないじ》と呼ぶ、雨しょぼを踊れ、と怒鳴る。水の輪の拡がり、嵐の狂うごとく、聞くも堪えない讒謗罵詈《ざんぼうばり》は雷《いかずち》のごとく哄《どっ》と沸く。
鎌倉殿は、船中において嚇怒《かくど》した。愛寵《あいちょう》せる女優のために群集の無礼を憤ったのかと思うと、――そうではない。この、好色の豪族は、疾《はや》く雨乞の験《しるし》なしと見て取
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