ると、日の昨《さく》の、短夜もはや半ばなりし紗《しゃ》の蚊帳《かや》の裡《うち》を想い出した。……
 雨乞のためとて、精進潔斎させられたのであるから。
「漕《こ》げ。」
 紫幕の船は、矢を射るように島へ走る。
 一度、駆下りようとした紫玉の緋裳《ひもすそ》は、この船の激しく襲ったために、一度引留められたものである。
「…………」
 と喚く鎌倉殿の、何やら太い声に、最初、白丁《はくちょう》に豆烏帽子で傘《からかさ》を担いだ宮奴《みややっこ》は、島のなる幕の下を這《は》って、ヌイと面《つら》を出した。
 すぐに此奴《こいつ》が法壇へ飛上った、その疾《はや》さ。
 紫玉がもはや、と思い切って池に飛ぼうとする処を、圧《おさ》えて、そして剥《は》いだ。
 女の身としてあらりょうか。
 あの、雪を束《つか》ねた白いものの、壇の上にひれ伏した、あわれな状《さま》は、月を祭る供物に似て、非ず、旱魃《かんばつ》の鬼一口の犠牲《にえ》である。
 ヒイと声を揚げて弟子が二人、幕の内で、手放しにわっと泣いた。
 赤ら顔の大入道の、首抜きの浴衣の尻を、七のずまで引めくったのが、苦り切ったる顔して、つかつかと、階《きざはし》を踏んで上った、金方《きんかた》か何ぞであろう、芝居もので。
 肩をむずと取ると、
「何だ、状《ざま》は。小町や静《しずか》じゃあるめえし、増長しやがるからだ。」
 手の裏かえす無情さは、足も手もぐたりとした、烈日に裂けかかる氷のような練絹《ねりぎぬ》の、紫玉のふくよかな胸を、酒焼《さかやけ》の胸に引掴《ひッつか》み、毛脛《けずね》に挟んで、
「立たねえかい。」

       十三

「口惜《くや》しい!」
 紫玉は舷《ふなばた》に縋《すが》って身を震わす。――真夜中の月の大池に、影の沈める樹の中に、しぼめる睡蓮《すいれん》のごとく漾《ただよ》いつつ。
「口惜しいねえ。」
 車馬の通行を留めた場所とて、人目の恥に歩行《あゆ》みもならず、――金方《きんかた》の計らいで、――万松亭《ばんしょうてい》という汀《みぎわ》なる料理店に、とにかく引籠《ひっこも》る事にした。紫玉はただ引被《ひっかつ》いで打伏した。が、金方は油断せず。弟子たちにも旨を含めた。で、次場所の興行かくては面白かるまいと、やけ酒を煽《あお》っていたが、酔倒れて、それは寝た。
 料理店の、あの亭主は、心|優《やさ
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