る。
「まあ! 可《よ》かった。」
 と、身を捻《ね》じて、肩を抱きつつ、社《やしろ》の方を片手拝みに、
「虫が知らしたんだわね。いま、お前さんが台所で、剃刀を持って行《ゆ》くって声が聞えたでしょう、ドキリとしたのよ。……秦さん秦さんと言ったけれど、もう居ないでしょう。何だかね、こんな間違がありそうな気がしてならない、私。私、でね、すぐに後から駆出したのさ。でも、どこって当《あて》はないんだもの、鳥居前のあすこの床屋で聞いてみたの。まあね、……まるでお見えなさらないと言うじゃあないの。しまった、と思ったわ。半分夢中で、それでも私がここへ来たのは神仏《かみほとけ》のお助けです。秦さん、私が助けるんだと思っちゃあ不可《いけな》い。可《よ》うござんすか、可《い》いかえ、貴方《あなた》。……親御さんが影身に添っていなさるんですよ。可《よう》ござんすか、分りましたか。」
 と小児《こども》のように、柔い胸に、帯も扱帯《しごき》もひったりと抱き締めて、
「御覧なさい、お月様が、あれ、仏様《ののさん》が。」
 忘れはしない、半輪の五日の月が黒雲を下りるように、荘厳なる銀杏の枝に、梢さがりに掛《かか》
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