熊沢も一座で、また花札を弄《もてあそ》ぶ事になって、朝飯は鮨《すし》にして、湯豆腐でちょっと一杯、と言う。
 この使《つかい》のついでに、明神の石坂、開化楼裏の、あの切立《きったて》の段を下りた宮本町の横小路に、相馬《そうま》煎餅《せんべい》――塩煎餅の、焼方の、醤油《したじ》の斑《ふ》に、何となく轡《くつわ》の形の浮出して見える名物がある。――茶受にしよう、是非お千さんにも食べさしたいと、甘谷の発議。で、宗吉がこれを買いに遣られたのが事の原因《おこり》であった。
 何分にも、十六七の食盛《くいざか》りが、毎日々々、三度の食事にがつがつしていた処へ、朝飯前とたとえにも言うのが、突落されるように嶮《けわ》しい石段を下りたドン底の空腹《ひもじ》さ。……天麩羅《てんぷら》とも、蕎麦《そば》とも、焼芋とも、芬《ぷん》と塩煎餅の香《こうば》しさがコンガリと鼻を突いて、袋を持った手がガチガチと震う。近飢《ちかがつ》えに、冷い汗が垂々《たらたら》と身うちに流れる堪え難さ。
 その時分の物価で、……忘れもしない七銭が煎餅の可なり嵩《かさ》のある中から……小判のごとく、数二枚。
 宗吉は、一坂《ひとさか
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