十国峠《じっこくとうげ》を頂いた、三島の連山の裾《すそ》が直《ただち》に枯草《かれくさ》に交《まじわ》るあたり、一帯の霧が細流《せせらぎ》のやうに靉靆《たなび》いて、空も野も幻の中に、一際《ひときわ》濃《こま》やかに残るのである。
あはれ座右《ざう》のポネヒル一度《ひとたび》声を発するを、彼処《かしこ》に人ありて遙《はるか》に見よ、此処《ここ》に恰《あたか》も其の霧の如く、怪しき煙が立たうもの、
と、桂木は心も勇《いさ》んで、
「むゝ、雨は歇《や》んだ、けれどもお媼《ばあ》さんの姿は未《ま》だ矢張《やっぱり》人間だよ。」と物狂《ものくる》はしく固唾《かたず》を飲んだ。
此の時媼、呵々《からから》と達者《たっしゃ》に笑ひ、
「はゝはゝ、お客様も余程のお方ぢやなう、しつかりさつしやれ、気分が悪いのでござろ。なるほど石ころ一つ、草の葉にまで、心を置いたと謂《い》はつしやるにつけ、何《ど》うかしてござらうに、まづまづ、横にでもなつて気を落着けるが可《よ》いわいなう、それぢやが、私《わし》を早《は》や矢張《やっぱり》怪しいものぢやと思うてござつては、何とも安堵《あんど》出来|悪《にく》かろ
前へ
次へ
全55ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング